日本大百科全書(ニッポニカ) 「階級」の意味・わかりやすい解説
階級
かいきゅう
class 英語
Klasse ドイツ語
一般に、全体社会の内部において社会的資源または勢力(富力、権力、威信など)の不平等な配分に基づいて成立する上下・優劣、貧富、支配・被支配、搾取・被搾取などといった非対称的な関係にたち、ほぼ同等の勢力量を享有する人々の集群をいう。広い意味での階級は、閉鎖的階級としてのカースト(種姓)や身分と、開放的階級としての近代階級を含む上位概念であるが、狭い意味での階級は近代階級をさすことが多い。その点で、階級は階層一般とは区別される。階級は社会秩序の根底にあって社会構造の性格を決め、社会変動を規定する重要な要因であるばかりか、人間生活の全局面に浸透して人々の生活機会を決定し、人間の幸・不幸、人生の喜怒哀楽を左右し、思想、感情、行動に烙印(らくいん)を押し付ける働きをする。
[濱嶋 朗]
階級概念の形成
このような事情から、階級現象は早くから人々の関心をひき、考察の対象となってきた。古代ギリシアの国家哲学では、政治闘争を身分層間の闘争と認め、これらの層の勢力関係の調整問題を論じていたし、アリストテレスは、社会の階級別編成を人々の個人的素質の違いに基づく自然的秩序だと考えた。中世のスコラ哲学では、階級は経済的分業に由来する自然的秩序だとみなされていた。しかし、階級を自然的秩序とみなす考えはまだ科学的認識の名に値しない。
下って18世紀イギリスの経験的社会論では、階級は労働による富の獲得の結果であり、権力の差を伴うものとされた。階級は財産の種類と量の違いから生まれるもので、財産関係は経済体制のあり方に規定されていると考えられた。ファーガソンやA・スミスらは、階級間の支配従属関係をもっぱら財産の分配の不平等に由来するとみたのである。他方、マラーはフランス革命の経験から、革命のなかに階級闘争を認め、政治変革を階級間の闘争として現実的に把握していた。しかし、当時はなお産業が未発達であったため、階級についての真に科学的な考察は生まれなかった。たとえば、サン・シモンの場合、旧制度を代表する貴族・聖職者に対する新興階級の利害対立は自明のこととされたが、資本家と労働者の利害は本来連帯的なものだと考えたため、両者はともに産業階級のもとに一括されることになった。ただ、土地所有貴族による封建体制から企業家による産業体制への移行を展望した点では、サン・シモンの見解は一歩の前進を示していた。また、フランスにおける階級闘争を社会運動とみなして研究したシュタインは、財の分配と労働の組織によって規定され、有産者による無産者の支配を引き起こす社会の原理が国家のなかに貫徹する結果、国家は支配階級のための階級国家と化して自由を抑圧するようになるので、自由の運動としての社会運動が発生するものとみた。しかし、シュタインは、下からの社会運動よりも上からの社会政策に自由の実現を期待したため、階級闘争を科学的に解明するまでには至らなかった。階級現象の真の意味を資本主義体制の構造・運動法則から解明し、科学的階級理論を打ち立てたのは、ほかならぬマルクスの功績であった。
[濱嶋 朗]
マルクス主義の階級理論
マルクス主義は、イギリスの経験的社会論(A・スミスら)、フランスの空想的社会主義(フーリエ、サン・シモンら)、ドイツの観念論哲学(とくにヘーゲル弁証法)を受け継ぎ、これをさらに発展させたものである。その階級理論の究極の目的は、階級および階級闘争を通じて近代資本主義社会の運動法則を明らかにし、革命の必然性を論証するところにあった。マルクス自身が表明しているように、近代社会における諸階級の存在や階級相互間の闘争を発見したのはマルクスの功績ではなく、むしろ、階級の存在を生産の特定の歴史的発展段階に結び付け、階級闘争が必然的にプロレタリアートの独裁をもたらすこと、しかもこの独裁が階級を廃絶して無階級社会に到達する過渡的段階にすぎないことを論じた点にその特徴が認められる。
このような意図と観点から提出されたのが、資本と賃労働という互いに対立し抗争する階級を軸に展開される説明図式(二大階級モデル)にほかならない。この二大階級モデルによれば、階級の発生は、私的生産力の発展(分業の展開)に伴う生産手段の私的所有の成立や、その結果である労働と所有の分裂による他人労働の領有に基づいている。古代における奴隷所有者と奴隷、中世における領主と農奴、近代における資本家と労働者との階級関係、前者による後者の支配と搾取という関係がそれである。この場合に決定的に重要なのは、生産手段を所有するか否かであり、それに由来する生産関係における地位の違いである。生産手段の所有・非所有の別こそは、経済的勢力の享有量を左右し、生産関係における支配的および従属的な地位と役割を決定する。そこから、搾取・被搾取(富の分配の不平等)および支配・被支配(権力の分配の不平等)の関係にたつ異質的、敵対的な階級が形成される。生産関係における不平等は分配関係における不平等を引き起こし、ひいては生活全般にわたる権利、権益、機会の著しい差別状態をもたらし、この差別状態は固定化される。
こうして生じた階級は、レーニンによると、「歴史上特定の社会的生産関係における、その地位を異にし、生産手段に対する関係(その大部分は法律によって制定され、形式化されている)を異にし、社会的労働組織におけるその役割、したがって社会的富のうち、彼らの処理する分け前の収得方法や量を異にする人間の大集団」なのであり、このような地位の違いから、階級間の関係は「その一方が他方の労働を壟断(ろうだん)しうるような」搾取・被搾取、支配・被支配の敵対関係であらざるをえない、と主張される(『偉大な創意』1919)。しかも、土台における差異は上部構造における差異を伴うから、経済的に支配する階級は同時に政治的にも社会的、文化的にも支配する階級である。つまり、物質的生産の手段を意のままにできる階級は同時にまた精神的生産の手段を意のままにできるから、どの時代にも支配階級の思想は支配的な思想となり、被支配階級を思想的にも支配することになる、というわけである。
ところで、資本対賃労働という体制的に規定された意味での階級は、客観的な利害対立を伴う差別状態を表しているが、まだそれ自体としては自らの階級的地位や階級利害についての先鋭な自覚をもった階級ではなく、資本に対する賃労働という意味での階級を構成するにとどまる。マルクスは、この種の階級を即自的階級Klasse an sichとよんで、それより高次の、自覚段階に達した階級(対自的階級Klasse für sich)と区別した。階級が利害の共同(他に対する利害対立)を意識し、組織のもとに団結して階級闘争を行うまでになったときに、初めて真の自覚した階級(対自的階級)が成立する、という。即自的階級から対自的階級への発展は、階級差別→階級利害→階級対立→階級闘争というコースをたどるが、この過程は階級意識化の過程であるとともに階級組織化の過程でもあり、資本主義の発達による全国的商品・労働市場の形成、工業地帯への大量の労働者の集中、地域的閉鎖性(孤立・分散)の打破、分業化・機械化の進行による技能別階層秩序の崩壊と賃労働関係の固定化、知識分子の指導などといった条件のもとで、労働組合や政党の結成による階級的団結が実現し、体制変革を目ざす運動(階級闘争)も激化していく、と主張される。
しかも、資本主義社会では、それに内在する法則の作用によって、将来ますます労資二大階級への両極分解が強まり、労働者の状態は悪化して窮乏化の一途をたどるから、階級意識や階級闘争はいよいよ鋭くなっていき、やがては社会革命に至るであろう、とマルクスは予言する。いいかえるならば、マルクス主義の階級理論の基本線は、資本主義の発展自体が内部矛盾を強め、そのことが搾取と支配を受けて非人間的な状態にくくり付けられた労働者の間に団結と統一行動を巻き起こし、階級意識と階級闘争の高揚を促して、革命への道を切り開かずにはいないが、その科学的論拠として労資二大階級への社会の分裂(両極分解論)と労働者の状態のいっそうの悪化(窮乏化論)および経済的大破局の不可避性(恐慌論)があげられていた。したがって、マルクスの予言の効力は、これらの論拠が現代社会にそのまま通用するか否かにかかっている。
[濱嶋 朗]
現代社会と階級
現代の先進諸国では、テクノロジーの飛躍的発展と生産機構の巨大化に伴い、とりわけ資本の集積・集中を前にして、自由な企業家の影は薄れ、資本家のかわりに経営者が登場する一方、旧中間層を構成する農・工・商業自営層のうちとくに農民層が分解し、自営層内部の家族従業者の賃労働力化と相まって、雇用勤労者が急激に増大した。しかし、雇用勤労者の増大は、そのまま生産的労働者の増大をもたらしたのではなく、専門技術、事務、販売、サービス関係従事者(いわゆる新中間層=ホワイトカラー)の肥大化を引き起こす形をとった。
労資二大階級への両極分解というマルクスの予想は、農民層など自営層(家族従業者も含む)の一部についてはともかく、生産的労働者数の伸び率の鈍化(相対的減少)、新中間層の肥大化によって裏切られたと評価する向きもある。たとえば、M・ウェーバーは、官僚制化の進展に伴う職員層の増大を盾に一義的なプロレタリア化への傾向を否定しているほどである。もちろん、これは極論であって、ブルーカラーとホワイトカラーを区別する労働の質や待遇の差はほとんどなくなり、実質上ホワイトカラーの下層部分のプロレタリア化が進行していると解釈することもできる。他方、マルクスの予想した窮乏化(貧困化)についても、生産力の飛躍的上昇に支えられた高度経済成長のもとで、耐久消費財の普及や生活水準の向上と相まって生活様式や生活態度が平準化したため、古典的な貧困は姿を消してしまったかのようにみえる。もちろん、耐久消費財の保有と貧困とが共存するところに現代的貧困の特色があるから、高度大衆消費に支えられた豊かな社会において窮乏化が一掃されてしまったとみるのは速断である。なお、高成長から低成長へと転換した今日の経済動向は、景気の後退や失業、倒産、生活苦の増大といった悲観材料に事欠かないが、国家の経済政策の整備拡充によって、恐慌の周期的反復による資本主義経済の自動的崩壊という危険は、未然に防止されている。したがって、恐慌による大破局も期待できそうにない。
こうして、見かけのうえでの新中間層の肥大化(脱プロレタリア化)、平準化と富裕化は、広範な雇用勤労者の間に小市民的な生活態度をはびこらせ、私生活の快適化を求める傾向は、体制変革ではなく体制順応の方向に働き、また階級対立の制度化という新しい労資関係のあり方は、階級闘争や階級意識の激化よりも、階級平和と体制内編入を強化するのに役だつ。このような現代社会における階級および階級意識、階級闘争の動向をどう解釈するかが、階級論の重要な課題となっている。
[濱嶋 朗]
社会主義社会における階級・階層問題
先進資本主義社会にみられる以上のような階級状況は、技術革新と消費革命による巨大な社会変動の結果であるが、現代の階級・階層問題を強く規定するものは、技術の高度化と、それに対応する組織の官僚制化であるといってよい。技術と組織の巨大化・高度化は所有と経営の分離を引き起こし、実務知識によって管理・運営の任にあたる階層を生み出した(経営者、管理者、技術官僚群など)。技術と組織が高度化し巨大化(=官僚制化)する過程で、所有にかわって組織(組織によって正当化された制度的権威)が階級支配の基盤となり、経営者やテクノクラートの支配を促した。インダストリアリズムの立場や収斂(しゅうれん)理論においては、このような技術と組織の論理が貫くところでは、体制のいかんを問わず、管理する者と管理される者との階層分化は不可避であり、階級や国家は死滅するどころかますます強力になると主張されている。マルクス・レーニン主義の教義体系によると、生産手段の私的所有制を撤廃して、これを社会的所有のもとに移し、全人民の管理のもとに置けば、プロレタリア独裁という過渡期を経過するうちに、階級や階級支配はいっさい廃絶されるはずであった。
ところが、崩壊以前のソビエト型社会主義においては、社会的所有とプロレタリア独裁を軸とする経済・政治体制のもとで、経済や政治の運営にあたる膨大な管理者、組織者、技術者の階層(M・ジラスのいう「新しい階級」)が出現し、富や権力、特権などの点で著しい不平等を引き起こし、無階級社会とは名ばかりのものになっていた。この新しい階級を構成する比較的少数の特権層はノーメンクラツーラноменклатура(ロシア語)ともいわれ、プロレタリア独裁・一党独裁の名のもとに社会主義国家を管理し、支配していた。いずれにせよ、現代の高度に発達した産業社会では、資本主義、社会主義といった体制の違いを問わず、巨大な技術と組織の管理・運営上の必要から、少数のエリート層による階級支配が避けがたい運命となっているかのようである。
[濱嶋 朗]
『M・ジラス著、原子林二郎訳『新しい階級――共産主義制度の分析』(1957・時事通信社)』▽『レーニン全集刊行委員会訳『偉大な創意』(『レーニン全集29』所収・1958・大月書店)』▽『『共産党宣言』(『マルクス=エンゲルス全集4』所収・1960・大月書店/岩波文庫/大月書店・国民文庫)』▽『R・ダーレンドルフ著、富永健一監訳『産業社会における階級と階級闘争』(1964・ダイヤモンド社)』▽『『資本論』(『マルクス=エンゲルス全集23~25』所収・1965~67・大月書店/岩波文庫/大月書店・国民文庫)』▽『A・ギデンズ著、市川統洋訳『先進社会の階級構造』(1977・みすず書房)』▽『M・ウェーバー著、濱嶋朗訳『社会主義』(1980・講談社)』▽『M・S・ヴォスレンスキー著、佐久間穆・船戸満之訳『ノーメンクラツーラ』(1981・中央公論社)』▽『大橋隆憲編著『日本の階級構成』(岩波新書)』