白柏町
しらかせちよう
[現在地名]宮津市字白柏
魚屋町とその南の本町の西端に接する横町(現字白柏の一部)から西北に細長く延び、川向町に至る間をいう。
京極高国時代の城下絵図(沼野家蔵)に町名がみえる。六幹町の一つで(→宮津城下)、「京極丹後守様御上地町地子並ニ家別」(「宮津事跡記」所引)に、反別一町五反八畝四歩五分、地子米一八石七斗一合二勺二才、家数一三八とする。幹町としての白柏町分には葛屋町九三軒、吹屋谷三八軒、池之谷九軒を含んだ。元禄一六年(一七〇三)の城下絵図(前田家本)には、白柏町一三九軒、以下葛屋町九三軒、吹矢谷三七軒、池之谷八軒、如願寺山王下二五軒を含めて白柏町分としている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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