白草村(読み)しらくさむら

日本歴史地名大系 「白草村」の解説

白草村
しらくさむら

[現在地名]岩出町相谷あいだに

やま村の東にあり、北は相谷村。村の北側を淡島街道が通る。「続風土記」は「村名詳ならす、意ふに旧は荒地にて枯草の場所なりしを開墾して村としたるより直にこれを取りて村名とするならん」と記す。慶長検地高目録によれば村高一四七石余、小物成一升二合。山崎組に属し、正徳元年(一七一一)の山崎組定免所指出帳(増田家蔵)によると毛付田六町四反余で高一〇四石余、毛付畑四反余で高五石余、家数一二で内訳庄屋・肝煎各一、本役六、半役三、無役一、人数六四(男三四・女三〇)、牛二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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