百人組(読み)ひゃくにんぐみ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「百人組」の意味・わかりやすい解説

百人組
ひゃくにんぐみ

江戸幕府番方(ばんがた)の職名。甲賀組、伊賀組、根来(ねごろ)組、二十五騎組の4組があり、いずれも鉄砲隊であった。創置は幕府草創のころ。各組に頭(かしら)1人(当初は大名役、寛永(かんえい)期〈1624~44〉から旗本役となる。若年寄(わかどしより)支配、役高3000石、布衣(ほい)、菊間詰)、与力20騎、二十五騎組は25騎(役高現米80石、御目見(おめみえ)以下、役上下(やくかみしも)、甲賀・根来両組は譜代(ふだい)席、伊賀・二十五騎両組は抱(かかえ)席)、同心100人(役高30俵二人扶持(ぶち)、根来組は30俵三人扶持、御目見以下、甲賀・根来両組は譜代席、伊賀・二十五騎両組は抱席)があった。百人組の名称は同心の人数に由来している。日ごろは江戸城大手三ノ門御番所に勤番し、上野の寛永寺、芝の増上(ぞうじょう)寺に将軍参詣(さんけい)のときには文殊楼(もんじゅろう)(上野)、山門前(芝)を警衛した。1862年(文久2)廃止された。

[北原章男]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の百人組の言及

【甲賀者】より

…しかし,1600年(慶長5)の関ヶ原の戦で家康の部将鳥居元忠指揮下にあって伏見城を死守したものの子孫は,与力(10騎),同心(100人)として召し出されて山岡備前守景友(道阿弥)に配属され,景友の知行9000石のうち4000石がその給分にあてられた。これはのちに百人組(鉄砲百人組)4組のうちの甲賀組となった。ちなみに,甲賀組は頭1人(役高3000石,布衣,菊之間縁頰詰,若年寄支配)のもとに与力20騎(役高現米80石,御目見以下,役上下,譜代席),同心100人(役高30俵二人扶持,御目見以下,譜代席)があり,平素は他の3組(根来組,伊賀組,二十五騎組)と交替で江戸城大手三の門を警衛した。…

【根来組】より

…江戸幕府の鉄砲隊,百人組の一つ。百人組には根来組をはじめ甲賀組,伊賀組,二十五騎組の4組があり,各組に頭1人(若年寄支配,役高3000石,布衣,菊之間南敷居外詰),与力20騎,ただし二十五騎組は25騎(役高現米80石,御目見以下,役上下,根来・甲賀両組は譜代席,伊賀・二十五騎両組は抱席),同心100人(役高30俵二人扶持,根来組は30俵三人扶持,御目見以下,根来・甲賀両組は譜代席,伊賀・二十五騎両組は抱席)があった。…

※「百人組」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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