根来(読み)ネゴロ

デジタル大辞泉 「根来」の意味・読み・例文・類語

ねごろ【根来】

和歌山県北部、岩出いわで市の地名根来寺所在地
根来塗ねごろぬり」の略。

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精選版 日本国語大辞典 「根来」の意味・読み・例文・類語

ねごろ【根来】

  1. [ 1 ]
    1. [ 一 ] 和歌山県那賀郡岩出町の地名。新義真言宗総本山の根来寺がある。
    2. [ 二 ]ねごろじ(根来寺)」の略。
  2. [ 2 ] 〘 名詞 〙ねごろぬり(根来塗)」「ねごろもの(根来物)」などの略。
    1. [初出の実例]「紙をしめして摺りて見れば紙に漆つく書写ぬりはよく根来に似たれども紙につかずといへり」(出典:万宝全書(1694)八)

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改訂新版 世界大百科事典 「根来」の意味・わかりやすい解説

根来 (ねごろ)

朱漆塗木器の俗称。単に朱漆のみを塗布したものでなく,下地に黒漆の中塗りを行い,さらに朱漆の上塗りをほどこして仕上げた朱漆塗製品に限るのが原則である。その名称は紀州根来寺(和歌山県岩出市根来)が,多くの子院・房舎を擁して隆盛していた中世期に,山内の膨大な需要に応じて自給自足した漆器に由来する。それらの漆器は長年の用に耐える良質な漆器として定評があったが,とりわけ朱漆塗の椀,折敷(おしき),膳の類は,後世〈根来〉〈根来もの〉〈根来朱〉と呼ばれて喧伝され,やがてそれがすぐれた朱漆器一般に対する通称とされるに至ったのである。

 根来寺山内での漆器の生産は,1585年(天正13)の羽柴秀吉による根来攻略で終わりをむかえ,以後根来寺は再興されたものの漆器の生産は行われていない。根来寺のはじまりは普通には,興教大師覚鑁(かくばん)が高野山を追われてこの地に隠棲し円明寺を興した1140年(保延6)とされるが,隆盛するのは,高野山大伝法院の学頭頼瑜(らいゆ)が勅許を得て高野山と袂を分かち,高野山にあった覚鑁ゆかりの大伝法院と密厳院を根来に移して新義真言宗の根本道場をさだめた1288年(正応1)以降のことである。したがって真に〈根来〉と称すべきものは,この時から秀吉の根来攻略までの約300年間に山内で生産された漆塗製品に限られるべきであろう。ところが根来産であることが明確な遺品は,現在までのところ茨城県の六地蔵寺に伝わる布薩盥(ふさつたらい)が知られるのみであり,近年山内の遺構から出土した漆器断片や銘文により根来寺山内で用いられたことがわかる遺品を含めても,紀州根来に関わるものはきわめて寥々たる数にすぎない。この程度の遺品の数では塗法の特色をつまびらかにすることはできず,また上記の遺品をみる限りでは,他の地で産出された朱漆器と比べて際立った差異はない。そのことは〈根来〉の名声が単に表面的な塗りの手法によるばかりでなく,素地,下塗りなども含めた総合的評価に基づくことを示唆している。こうして〈根来〉は後世,時代や産地を問わず,根来で産した朱漆器に劣らないような良質で堅牢な朱漆器に対する総称としての意味を有することになったのである。

一方,根来産漆器の呼称として〈根来〉とともに慣用されてきた言葉に根来塗がある。いまでは根来塗もまた〈根来〉と同様拡大解釈され,朱漆器の俗称として安易に用いられるようになったが,〈……塗〉と称する場合,一般には産地名をあらわすのが通例であり,〈根来〉を黒地朱漆塗の良質な漆器全般に対する呼称として新たに規定するならば,根来塗については根来寺山内で生産された漆器とするのが適切であろう。当然根来産であることが明らかな漆工品であれば,朱漆塗に限るべきではない。現在,根来名を冠する漆器には,このほか黒根来絵根来,奈良根来,京根来,吉野根来,彫(ほり)根来など,実にさまざまなものがある。産地名をつけたものは,根来が1585年の兵火で衰亡して以降,各地に離散した漆工たちが,それぞれの地でその髹法を伝えたり,また在地の漆工が根来塗を模擬して名を残したものであろう。今に伝わる近世根来は多くこの種のものに該当する。黒根来は1878年に黒川真頼がその著《工芸志料》の〈根来塗〉の項ではじめて用いた言葉で,根来で産した黒漆塗の器物を意味している。しかしその後,黒根来も本来の意味を忘れ,最近では根来産以外のものについても一部を黒根来などと称しているが,これを容認すれば,漆芸遺品の過半を占める黒漆器はことごとく黒根来ということになり,とりとめのない結果になってしまうであろう。やはり黒川説の原点に戻り根来産黒漆器に限るのが妥当であるといわねばならない。絵根来は黒漆地に朱漆,あるいは朱漆地に黒漆で文様を描きあらわしたもので,漆芸品の加飾法からいえば明らかに漆絵であり,その範疇に包括されるべきである。彫根来は木彫黒漆地朱漆塗の手法によるもの。いまいうところの鎌倉彫と異なるところがない。おそらくは黒地朱漆塗仕上げであるところからその名が生まれたのであろう。

〈根来〉と称されるものの遺品は,椀,皿,鉢,酒器,盤,折敷,高杯などの食器,食膳具をはじめ,茶器,薬器,神饌具,仏具,武器,武具,調度など多種・多岐にわたる。とりわけ食膳具が主流を占めているのは,伝存する遺品のほとんどが社寺の什器として神饌・仏供の具に使用されたり,社寺での接客・饗宴用にしつらえられた品々だからである。それだけに機能的にもすぐれたものが多く,漆工史のみならず生活史の上でもきわめて興味深い資料となる。

 日本における黒地朱上塗の木漆遺品は弥生時代にまでさかのぼる事例もあるが,伝世品では正倉院宝庫に伝わる〈天平経〉の朱漆軸が最古のものと考えられる。紀年銘品では広島厳島神社古神宝類中の〈餝太刀箱〉が寿永2年(1183)調進の銘文を記して最も古い。この間の事例は現在のところ知られていないが,871年(貞観13)に録された〈安祥寺資財帳〉,883年(元慶7)の〈河内国観心寺縁起資財帳〉など寺院の什物目録,あるいは《延喜式》や藤原時代の貴族日記類にも朱漆器のことは散見され,また《信貴山縁起絵巻》や《源氏物語絵巻》など当代の絵巻物にも描かれていて,社寺や貴族社会における盛んな使用のさまがしのばれる。奈良時代の写経軸と平安時代最末期の厳島神社の太刀箱を除く遺品はすべて鎌倉時代以降のものであるが,そのうち古根来といわれる中世期の遺品は,多くの場合上塗りの朱漆が塗り放し(花塗り)のままである点が特徴である。これは表面を研磨し光沢のある塗り肌に仕上げた近世根来との大きな違いである。また唐物尊重の時代の好尚を反映して,中国漆器の器形をとり入れているのも中世根来の特色であろう。享徳4年(1455)の銘をもつ奈良西大寺の輪花天目盆,寺院に多く伝わる輪花天目台はその代表的事例である。〈根来塗〉の遺品は,底裏に〈細工根来寺重宗/六蔵寺二対内/本願法印恵範〉と銘記した茨城六地蔵寺の布薩盥が唯一無二の事例である。また根来塗の可能性を秘めているものとしては〈根山伝法明王院〉と記した奈良長谷寺の前机のほか,子院銘を書いた鉢や盥など2,3例が知られている。根来の真価は,堅牢で機能性に富む木地の造形美と,塗り肌の美しさに帰するといってよい。長年の用に耐えながら,上塗りの朱漆が磨滅し,その下から黒地が露出して,朱と黒の対比の美しい雅味豊かな塗り肌を表出することになる。この巧まざる自然に生じた肌合いが,数寄者や茶人の根来を珍重する由縁であり,用と美を兼ね備えた単純明快な色調と形状が現代人をも魅了するのである。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「根来」の意味・わかりやすい解説

根来
ねごろ

和歌山県北部、岩出(いわで)市の一地区。旧根来村。新義真言(しんぎしんごん)宗総本山根来寺の所在地で、豊臣(とよとみ)秀吉に焼かれるまでは広い寺領を有し、寺域全部を根来と称した。和泉(いずみ)山脈南麓(ろく)の根来川(紀ノ川支流)扇状地扇頂部を占める。根来寺の近くに市民俗資料館がある。根来街道が北部の風吹(かぜふき)峠へと通じている。

[小池洋一]


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