根来組(読み)ネゴログミ

デジタル大辞泉 「根来組」の意味・読み・例文・類語

ねごろ‐ぐみ【根来組】

江戸幕府鉄砲百人組の一。天正13年(1585)根来寺衆徒豊臣秀吉に討伐されたのち、徳川家康浜松で召し出されて組織したもの。

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精選版 日本国語大辞典 「根来組」の意味・読み・例文・類語

ねごろ‐ぐみ【根来組】

  1. 〘 名詞 〙 鉄砲百人組一つ。天正一三年(一五八五)、根来寺の衆徒が徳川家康に召されて組織したもの。
    1. [初出の実例]「百人組の頭〈略〉甲賀組・根来組・伊賀組、与力各二十騎青山組は与力二十五騎同心は毎組百人也。依て百人組と号す」(出典:職掌録(18C中‐後))

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改訂新版 世界大百科事典 「根来組」の意味・わかりやすい解説

根来組 (ねごろぐみ)

江戸幕府の鉄砲隊,百人組の一つ。百人組には根来組をはじめ甲賀組伊賀組,二十五騎組の4組があり,各組に頭1人(若年寄支配,役高3000石,布衣,菊之間南敷居外詰),与力20騎,ただし二十五騎組は25騎(役高現米80石,御目見以下,役上下,根来・甲賀両組は譜代席,伊賀・二十五騎両組は抱席),同心100人(役高30俵二人扶持,根来組は30俵三人扶持,御目見以下,根来・甲賀両組は譜代席,伊賀・二十五騎両組は抱席)があった。ちなみに,百人組の名称は同心の数に由来する。江戸城大手三ノ門御番所に勤番し,寛永寺,増上寺に将軍参詣のときは文殊楼(上野),山門前(芝)を警衛した。根来組は紀州根来寺の衆徒の家筋の者をもって一隊としたもので,1585年(天正13)浜松で徳川家に召し出されて成瀬小吉正一(まさかず)に配属されたのにはじまる。他組とはことなって同心は総髪であり,また与力に取り立てられた。組屋敷は市谷加賀屋敷,牛込原町にあった。1862年(文久2)百人組は廃止された。
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世界大百科事典(旧版)内の根来組の言及

【甲賀者】より

…これはのちに百人組(鉄砲百人組)4組のうちの甲賀組となった。ちなみに,甲賀組は頭1人(役高3000石,布衣,菊之間縁頰詰,若年寄支配)のもとに与力20騎(役高現米80石,御目見以下,役上下,譜代席),同心100人(役高30俵二人扶持,御目見以下,譜代席)があり,平素は他の3組(根来組,伊賀組,二十五騎組)と交替で江戸城大手三の門を警衛した。【北原 章男】。…

※「根来組」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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