日本歴史地名大系 「百石村」の解説
百石村
ももいしむら
正保四年(一六四七)の南部領内総絵図に百石村、四八石余とあり、同年の郷村帳によれば四八・三九七石のうち三四・三二四石が田である。天和二年(一六八二)の惣御代官所中高村付には高一五八・四一二石とあり、七ヵ年の平均免は二ツ二分六厘六毛である。寛政年間(一七八九―一八〇一)の「邦内郷村志」では蔵分一三四・九石余、給分二・九石余で、馬一二二疋を飼養。家数は九四、うち支村は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報