上北郡(読み)かみきたぐん

日本歴史地名大系 「上北郡」の解説

上北郡
かみきたぐん

面積:一六五二・六七平方キロ(境界未定)
百石ももいし町・下田しもだ町・六戸ろくのへ町・十和田湖とわだこ町・七戸しちのへ町・上北かみきた町・天間林てんまばやし村・東北とうほく町・六ヶ所ろっかしょ村・野辺地のへじ町・横浜よこはま

青森県東部のほぼ中央に位置し、東は太平洋、北西は陸奥湾・野辺地湾に面する。北は下北郡・むつ市、南は三戸さんのへ郡・八戸はちのへ市、西は東津軽郡・青森市・南津軽郡、秋田県鹿角かづの郡・鹿角市に接する。郡の南部中ほどに十和田市が挟まり、東部中ほどに三沢市がある。

東の太平洋岸はほぼ南北に直線上に連なる砂浜で、この海岸線には小川原おがわら湖をはじめとする大小多数の堰止湖沼群がある。地形は大別して西方の山岳地帯と東方の火山灰台地に分れる。西方の山岳地帯は八甲田はつこうだ・十和田山塊と東西の支脈とからなり、脊梁山脈は北から南へ三角さんかく(七五三メートル)折紙おりかみ(九二〇・六メートル)くろ(一〇二二・六メートル)高田大たかだおお(一五五二メートル)こまヶ峯(一四一六・三メートル)御鼻部おはなべ(一〇一〇・三メートル)と連なり、御鼻部山の直下に十和田湖がある。東方の台地は十和田カルデラから流出した火山灰が広大平坦な台地の上に堆積し、西方の山地から東流し、太平洋に注ぐ河川により開析される。東流する河川は北部は七戸川水系のつぼ川・中野なかの川・作田さくた川・和田わだ川・道地どうじ川・川去かわさり川、南部は奥入瀬おいらせ川水系の熊ノ沢くまのさわ川・中里なかさと川・後藤ごとう川に大別され、両水系の中間には砂土路さどろ川がある。これらの河川の両岸は河岸段丘をなしている。

郡のほぼ中央を国道四号が南北に縦断し、南部を国道四五号・一〇二号が東西に横断して十和田市で国道四号に合流する。国道三三八号が百石町で国道四五号から分岐して太平洋沿岸を北上し、国道二七九号が野辺地町で国道四号から分岐して陸奥湾沿岸を北上する。国道三九四号は七戸町で国道四号から分れて黒石市に至る。東南の八戸市方面から北東の東津軽郡平内ひらない町方面へ斜めに国鉄東北本線が走る。三沢―十和田間は十和田観光電鉄、野辺地―七戸間は南部縦貫鉄道で結ばれ、野辺地からは国鉄大湊線がむつ市方面へ延びる。

現郡名は明治一一年(一八七八)きた郡が上下に分割された時に始まる。

〔原始・古代〕

上北郡の考古遺跡は昭和五三年(一九七八)現在で三〇五ヵ所を数え、最も多い地域は六ヶ所村の一一八で、以下七戸町四〇、東北町三一、上北町二三、横浜町二三、天間林村二一、十和田湖町一九、下田町・六戸町一三、野辺地町一〇、百石町七である。旧石器時代に属するものに東北町の長者久保ちようじやくぼ遺跡があり、終末期の石器や剥片・礫などが出土する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報