益気庄(読み)やけのしよう

日本歴史地名大系 「益気庄」の解説

益気庄
やけのしよう

現東神吉町升田(ひがしかんきちようますだ)一帯に比定される庄園で、名称は古代の印南郡益気郷(和名抄)を継承する。仁平三年(一一五三)七月二日の播磨国東大寺領庄々文書目録(東大寺文書)に益気庄とみえ、「延暦二年買納墾田郡解」が注進されているので、延暦二年(七八三)に東大寺へ墾田が施入されたのが最初と推定される。東大寺には承和五年(八三八)の庄々惣券、同一二年の田地坪付および施入帳が存在しており、この頃に庄園として立券されたと考えられる(保元二年八月日「東大寺領播磨国庄園文書目録」・治承二年四月日「公文所公文藤原家職東大寺領文書請取状」同文書)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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