直信流(読み)じきしんりゅう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「直信流」の意味・わかりやすい解説

直信流
じきしんりゅう

江戸時代、雲州松江藩に伝えられた柔術の一流派。流祖は寺田勘右衛門満英(みつひで)(1616―74)。満英の父平左衛門安定は若狭(わかさ)の人、軍陣組討貞心流(ぐんじんくみうちていしんりゅう)を創始し、京極高国(きょうごくたかくに)に仕え、のち1640年(寛永17)松江の松平出羽守(でわのかみ)高真に召し出され250石を賜った。満英は幼少から父に貞心流を学び、ついで京都に出て、所司代板倉氏に仕える叔父の八左衛門頼重(よりしげ)について良移心当和(りょういしんとうやわら)の奥義を究め、ついに不動体の妙理を自得して、直心流柔(じきしんりゅうやわら)を称し、同藩の初代柔術師役についた。のち1724年(享保9)4代師役を継いだ井上治部大夫正順(じぶだゆうまさより)(1674―1759)は満英以来の達人といわれ、「心体は万技の根元」と説き、直信柔道兵術、直信流柔道を唱導した。

[渡邉一郎]

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