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柔術 じゅうじゅつ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

柔術
じゅうじゅつ

徒手または主として短い武器をもって相手を制する日本古来の武術。柔 (やわら) ともいう。投げる,打つ,突く,蹴る,絞める,組伏せる,関節をくじくなど,技術内容は多く,小刀の操法,捕縛,活法の術なども含んでいる。柔術は武士の戦場組討 (くみうち) の術として育ち,16世紀後半から 17世紀にかけて系統的に組織づけられた。名人,達人が出て多くの流派を生み,古い流では天文1 (1532) 年竹内久盛が創始した竹内流が記録上最も古く,以後江戸時代に移って関口流,渋川流,起倒流,天神真楊流をはじめ数十に上る流派が興った。さらにこれらが分派して全国に広く普及発達し,現在でもその名称,形を残しているものがある。技術はおもに形としてつくられ,「柔よく剛を制す」の理法を基礎としてその修練が行われた。起倒流の投技および天神真楊流の固技当身技 (あてみわざ) は講道館柔道の技術の基盤となっている。

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デジタル大辞泉の解説

じゅう‐じゅつ〔ジウ‐〕【柔術】

徒手で打つ・突く・蹴る・投げる・組み伏せるなどの方法によって相手を攻撃し、また防御する日本古来の武術。やわら。→柔道

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百科事典マイペディアの解説

柔術【じゅうじゅつ】

武器を用いず,投げる,絞める,抑える,突く,蹴(け)る,打つ,極めるなどの技を主として用い,相手を制する日本古来の武術。柔道の先行形態の一つ。室町末期以後各種武術とともに,徒手あるいは小武器を用いる武術が組織化されて多くの流派が生まれ,鎧(よろい)組,小具足(こぐそく),腰の廻り,捕手(とりて),和術,体術,柔術などの名で呼ばれたが,江戸中期以後〈やわら〉または柔術と通称されるようになった。
→関連項目合気道嘉納治五郎拳法

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日本文化いろは事典の解説

柔術

柔術は単なる一つの武道ではなく、現在繁栄している日本武道の父とも言うべき存在です。柔道や合気道の源流とされるばかりか、空手など様々な武術に影響を 与えています。また、現在ではブラジリアン柔術に代表されるように、海外で格闘技としてアレンジされ、人気を博しています。

出典|シナジーマーティング(株)
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大辞林 第三版の解説

じゅうじゅつ【柔術】

無手あるいは短い武器をもって、投げる、抑える、挫ひしぐ、絞める、打つ、突く、蹴る、捕縛するなどして相手と格闘する、日本古来の武術の一。やわら。
にさまざまな格闘技の要素を盛り込み、競技化したもの。ヨーロッパで統一ルールが作られた。一対一で試合を行う格闘系と、二人一組みで攻撃と防御の型を行う演武系がある。柔術競技。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

柔術
じゅうじゅつ

わが国古来の武術で、ひしぎ、くじき、くだき、ほぐれ、みだれ、やわらなどとよばれた「無手或(あるい)は短かき武器をもって、無手或は武器をもっている敵を攻撃し、または防禦(ぼうぎょ)する術」(嘉納治五郎(かのうじごろう))をいう。古くは角力(すまい)(力競べ)などとともに、戦場における組み討ちに勝を収めるため、また護身の術として、武士の間で行われたもので、(1)投げ、絞め、抑え、逆をとる術―和術、体術、(2)相手をとらえ、抑え、縛する術―小具足(こぐそく)、捕手(ほしゅ)、取手(とりて)、捕縛(ほばく)、(3)人を打ち、突き、蹴(け)る術―拳法(けんぽう)、白打(はくだ)、把勢(はせい)などを包括する格技の総称で、刀法(剣術)を表とし、柔術を裏とする流派も少なくない。
 柔術として流派が成立するのは、他の武術と同じく室町末期から江戸初期にかけてで、その先駆となったのは、1532年(天文1)作州(岡山県)の竹内中務大夫久盛(たけのうちなかつかさだゆうひさもり)が始めた小具足腰廻(こしのまわり)や、堤山城守宝山(つつみやましろのかみほうさん)の堤宝山流などである。中世以来の甲冑(かっちゅう)組み討ちの技術に加えて、足軽による集団戦闘に対応するための素肌者(すはだもの)の手搏(しゅばく)・捕手の術が重要視されるようになったからである。やがて近世初頭には、徒手本位の格技として大きな発展を遂げるが、そのもっとも早く現れたのは、1622年(元和8)柳生宗厳(やぎゅうむねよし)の門人福野七郎右衛門正勝によって始められた良移心当和(りょういしんとうやわら)、寺田平右衛門定安の貞心流(ていしんりゅう)、水早長左衛門信正(みずはやちょうざえもんのぶまさ)の開いた制剛流(せいごうりゅう)五身伝(やわらごしんでん)などである。ついで寛永(かんえい)年間(1624~44)には、茨木専斎の起倒流(きとうりゅう)(みだれ)や、小栗仁右衛門正信の小栗流(おぐりりゅう)和術、さらに関口弥六右衛門氏心(やろくえもんうじむね)の新心流(しんしんりゅう)などの諸流が成立した。
 こうした近世柔術流派の形成期に、中国医学による経絡(けいらく)原理や拳法の技法が明人(みんじん)陳元贇(ちんげんぴん)(江戸)や王道元(おうどうげん)(長崎)らによって、わが国に紹介され、秋山四郎左衛門義時(よしとき)の楊心流(ようしんりゅう)など諸流に当身(あてみ)の術、殺活の法として取り入れられた。やがて元禄(げんろく)(1688~1704)前後には、各藩それぞれ独自の柔術が採用され、関口流から分かれた渋川伴五郎義方の渋川流や、吉岡流から独立した江畑杢右衛門満真の為我流が有名となった。さらに8代将軍吉宗(よしむね)の時代には、起倒流中興の功労者堀田自諾(じだく)が大坂で活躍し、その門弟滝野遊軒貞高(たきのゆうけんさだたか)は初めて江戸に道場を開き、その後の発展の基礎を築いた。また滝野の門から灌心流、汲心流が分派し、秋山の楊心流の系統から、大坂城同心の山本民左衛門英早が真之神道流(しんのしんとうりゅう)をおこし、また制剛流から森川武兵衛高正の霞新流(かすみしんりゅう)が生まれた。さらに化政期には、大坂では藤田麓憲貞の為勢自得天真流(いせいじとくてんしんりゅう)が、福岡には自剛天真流が、また拳骨和尚(げんこつおしょう)物外(もつがい)が不遷流をおこしている。幕末の小川町講武所では、柔術が採用され、起倒流鈴木清兵衛好邦(せいべえよしくに)が柔術師範役を勤めたが、わずか2年余で廃止された。一方、文久(ぶんきゅう)年間(1861~64)、江戸の磯又右衛門正足(いそまたえもんまさたり)が、楊心流と真之神道流とを合流して、天神真楊流を標榜(ひょうぼう)している。
 以上のほか幕末の記録によれば、荒木当派、実光流(じっこうりゅう)、神明活殺(しんめいかっさつ)派、三和流(さんわりゅう)、沿海微塵流(えんかいみじんりゅう)、柳生心眼流、柳流、玉光流、一覚流、唯心流(いしんりゅう)、気楽流(きらくりゅう)、立身流(たつみりゅう)、転心流(てんしんりゅう)、止心流(ししんりゅう)、無外流(むがいりゅう)、拍子流(ひょうしりゅう)など200流に近い流派を数えた。なお、今日の隆盛を築いた嘉納治五郎の講道館柔道は、起倒流と天神真楊流を中心に、その他諸流派の長所を取り入れて、近代的に構築したものである。[渡邉一郎]
『桜庭武著『柔道史攷』(1935・目書書店) ▽丸山三造著『大日本柔道史』(1942・講道館)』

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世界大百科事典内の柔術の言及

【拳法】より

…この中国拳法を日本に伝えたのは,元和~正保年間(17世紀前期)日本に渡来した明(みん)の人陳元贇(ちんげんぴん)であるといわれる。彼は日本の武芸者である福野七郎右衛門,磯貝次郎左衛門,三浦与次右衛門に拳法を教え,この門弟たちが,日本の柔術をつくり発展させたとされている。突き,蹴りを中心とした中国拳法の技法が,日本の柔術に大きな影響を与えたのである。…

【柔道】より

…古来の柔術に改良を加えて創始された武道。嘉納治五郎は体育,修心,勝負を目的とする教育的観点から講道館柔道を創始した。…

※「柔術」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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