矢又村(読み)やまたむら

日本歴史地名大系 「矢又村」の解説

矢又村
やまたむら

[現在地名]馬頭町矢又

鷲子とりのこ山の北西麓に位置し、北は武部たけぶ村、東は大那地おおなち村。北西流する矢又川最上流域にあたる。常陸水戸と黒羽くろばね・大田原方面を結ぶ道が通る。鷲子山西麓を越えて水戸へ向かう道は川戸道とよばれ、「はと、からす、やまとりのこみち」と記す碑がある。寛永一二年(一六三五)の水戸領郷高帳先高(茨城高等学校図書館蔵)には「山田村」とあり、高六〇四石余。同二一年の知行割郷帳(水戸彰考館文庫蔵)によれば高一千一七三石余(田方三四七石余・畑方八一五石余)で吉田祐益ほか一二名の給地。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む