石戸郷
いしとごう
荒川左岸の現北本市石戸宿一帯に比定される。「風土記稿」男衾郡西ノ入村(現寄居町)の項によれば、婆羅門社に伝存した懸仏(現存せず)には、応永一五年(一四〇八)一二月二日の年紀と「武州足立郡石戸郷下法師谷村」などの銘文があったという。「下法師谷村」の比定地は不明。年未詳の旦那引付注文写(熊野那智大社文書)には、「武蔵足立郡石戸郷伊藤兵庫 同郷伊藤藤二郎 同郷飯野孫七郎 同郷新井神三郎 同郷彦三郎」「石戸郷真如坊」「石戸郷真福寺」などがみえ、石戸郷に熊野修験の旦那集団がいたことが知られる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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