石橋 ハヤ(読み)イシバシ ハヤ

20世紀日本人名事典 「石橋 ハヤ」の解説

石橋 ハヤ
イシバシ ハヤ

明治〜昭和期の看護婦 精神科看護の先駆者。



生年
明治13(1880)年4月

没年
昭和36(1961)年3月28日

出生地
佐賀県

学歴〔年〕
東京帝国大学医科大学附属病院看護法講習科〔明治34年〕卒

主な受賞名〔年〕
ナイチンゲール記章(第15回)〔昭和30年〕,黄綬褒章〔昭和31年〕

経歴
明治34年東京帝大医科大学病院看護婦となり、3年後東京府巣鴨病院に移り、昭和21年3月、松沢病院看護婦取締を66歳で退職するまで明治、大正、昭和の3代50余年間、精神障害者の友となって看護一筋に生きる。歴代院長の信任も厚く「松沢の母」といわれた。30年第15回ナイチンゲール記章受章。31年には病院庭内に記念のブロンズが建てられ、斎藤茂吉歌碑が添えられた。同年黄綬褒章受章。退職後も東京都指導補佐員や講師を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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