翻訳|nurse
( 1 )患者の看護を職業とする人の出現は明治初期の戦争中であったが、当時「看護人」あるいは「看病人」と呼び、男女の別もなかった。しかし、すでに明治九年(一八七六)一二月一九日付の「看護婦雇入給与額の伺書」では、看護婦が使われている。
( 2 )この語の辞書登録は、山田美妙の「日本大辞書」(一八九三)が早い。一方、「看病婦」や「看病人」という名称もあったが、明治三〇年代以降、徐々に「看護婦」に定着した。
( 3 )平成一三年(二〇〇一)「保健婦助産婦看護婦法」が「保健師助産師看護師法」に改められたことにより、正式名称は男女を問わず「看護師」となった。
専門的職業としての自覚的な看護の成立は,この100年余りのことで,イギリスのF.ナイチンゲールの活躍とともに始まった。日本でもその影響を受け継いで1887年前後に桜井女学校,東京帝国大学病院,慈恵会医科大学病院,日本赤十字社など,相次いで看護婦養成所が設立させた。しかし,こうした教育・訓練がなされたのはほんの一部で,多くは看護の実務のなかで徒弟的に育てられるにとどまっていた。主体的に看護活動を担う看護婦の養成をめざして看護基礎教育のあり方が抜本的に改革されたのは,第2次世界大戦後のことで,アメリカ看護界の影響を大きく受けた。
国際的には〈看護婦とは,看護の基礎教育課程を修了し,免許を受け,健康の増進,疾病の予防,ならびに病人の世話に関して,最も責任のある看護業務を行うことをその国において認められた者〉(国際看護婦協会(ICN))と定められている。また,看護婦の具体的役割としては,〈患者が心地よく療養できるように環境を整える,患者の基本的欲求の充足を助ける,患者が医療を安全・迅速・正確に受けられるように配慮する,看護部門の役割を自覚して,他の医療従事者と協調し,業務を遂行する,専門職業人として看護職の水準向上に努力する,患者・家族・医療関係者の間の円滑な人間関係の保持に努める〉などがあげられる。日本では,保健婦助産婦看護婦法(1948)において,〈厚生大臣の免許を受けて,傷病者若しくは褥婦(じょくふ)に対する療養上の世話又は診療の補助をなすことを業とする女子〉と定められ,一定の資格のある者が看護婦として看護業務を行うことが規定されている。男子の場合は〈看護士〉と呼び,看護婦に準じることが定められていた。
看護婦になるためのごく一般的なコースとしては,高等学校卒業後,看護学校(3年)を終えてから国家試験に合格して免許を得るコースがある。近年,社会の要請に応えるために,看護婦の養成ならびに確保のための施策の見直しがされている。たとえば,4年制看護系大学が各都道府県に設置されはじめているなど看護婦の高等教育化がすすめられている。しかし,いまだ看護婦の教育・養成制度には多くの課題が残されている。特に,准看護婦制度は,1951年,病床の需要が急激に高まり,看護婦不足が生じた時期にやむなく設けられたものであったが,現実には長年にわたって,医療現場を支えることになった。現在,全国で就業している看護婦は53万3682人,准看護婦は40万480人である(1995年厚生省報告例による)。
従来,診断や治療が優先される病院や診療所が,看護婦のおもな活動の場であったが,近年,人口の高齢化や疾病構造の変化によって,療養生活が長期にわたる人や地域で生活しながら医療を活用する人などが増加し,種々な健康相談の場やリハビリテーション活動の場が生み出されている。このため,地域に出向いて行う老人や心身障害児などへの訪問看護をはじめ,広く保育所,学校,事業所などの健康教育活動の展開が求められている。例えば,老人,難病患者,重度障害者,および脳卒中後遺症患者などに対する〈訪問看護制度〉が創設されたことにより,看護婦が〈訪問看護ステーション〉を運営するなど,在宅ケアの担い手としての活動が注目されている。また,個人ケアのみならず,集団を対象としたケアの担い手としての能力が求められている。
医療技術の高度化・複雑化に伴い,看護婦の業務量は増大し,看護婦が第一義的に目ざす患者中心の日常生活行動の援助に十分な力を発揮できない困難さに直面している。看護労働の特殊性として,〈24時間連続して行われている,業務の内容はさまざまでありその内容は看護婦の判断が必要である,人の生命に直接的に関わるため,緊張感が高く,即時的な判断力が求められる,病気や障害をもつ人に安心感をもたらし,信頼感を育むために,看護婦の人間性の豊かさが望まれる,科学の発展に伴い常に新しい知識・技術の習得が必要とされている,チームで行っているので協調性が必要である〉などがあげられる。したがって,労働時間の調整や看護婦の健康管理などが社会的な課題となっている。その克服に向けて,看護職能は労働環境の改善,看護サービス提供の手段と場の多様化,専門性の高い看護婦の養成,看護婦の継続教育の保障などに積極的に取り組んでいる。その一翼を担う〈日本看護協会(JNA)〉は,各国の看護協会と連帯して国際看護協会(ICN,1899年創立)に参加し,看護の発展をめざして活動している。また,国際労働機関(ILO)により,看護婦の雇用と労働,および生活条件等,労働者としての権利と地位の向上を図るため,各国政府に改善への働きかけが行われている。看護に関する行政としては,国のレベルでは厚生省健康政策局に看護課が,各都道府県レベルでは看護係が設置されており,看護婦の免許や試験の施行,看護婦の養成に関することなど,看護婦の調査・研究,教育活動を行い,看護の啓蒙,普及に努めている。
執筆者:外口 玉子 〈保健師助産師看護師法〉が2002年3月施行され,〈看護婦〉および〈看護士〉の名称は〈看護師〉に,〈准看護婦〉は〈准看護師〉に改められた。
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「保健婦助産婦看護婦法」(昭和23年法律第203号)により、傷病者または褥婦(じょくふ)に対する療養上の世話、診療の補助を業とする女性の資格の名称とされていたが、「保健婦助産婦看護婦法の一部を改正する法律」(平成13年法律第153号)により、2002年(平成14)3月以降、男女統一の「看護師」に改められた。
[山根信子・編集部]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…母親がわが子を産み,養い育て,保護したことに始まり,それに伴う喜びや苦しみの経験をいかして,他の母親を助け,また傷つき病んだ者の傍らに居て手当てをし,さらにまた,避けることのできない死に直面した者に安らぎを与えようとする行為が看護の始まりといわれている。やがて母親の手から,ある部分は寺院や教会などの宗教団体の手にゆだねられていったのだが,看護婦という名称をもった専門職業への第一歩が踏み出されたのは最近100年くらいのことである。
[看護の機能]
看護とは,人が生まれ,その生を閉じるまでに経験される健康現象において,個人,家族,地域社会に関与して,その生命力や生活のリズムが損なわれないように見守り,かつそれを十分に発揮できるように支え,励ますことによって,自立への援助を意図した働きである。…
※「看護婦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
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