石田塚
いしだづか
[現在地名]三次市向江田町
「芸藩通志」所載の村絵図によれば、十林寺の西南方の平野中に石田墓を描くが、現在は石田の地名のみが残り塚はない。
村内の旧記を記録した「古今雑録」(佐々木家蔵)所収の寛保元年(一七四一)の「当村野白沖
木田地中ニ少シノ芝原塚有リ、此由来如リ聞之書之覚」によると、この塚は中世の三谿郡代官石田某が上納すべき三〇貫文を引負い、妻と一三歳の娘を刺殺し自らも切腹したのを葬ったもので、「四五拾年以前
者、此塚之上に腰掛ケ候得者、忽病苦ヲ請立所ニモンゼツ致候由」といい、石田某の死を「凡年数当時
ニ三百六七拾余年」前のこととしている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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