破塚郷(読み)こぼちづかごう

日本歴史地名大系 「破塚郷」の解説

破塚郷
こぼちづかごう

保内下四郷のうちで、今堀いまぼり郷の西にある。壊塚こぼちづか・小法師ツカとも記され、延文四年(一三五九)一二月九日の観性預土地売券(今堀日吉神社文書)に破塚とみえる。東・西に分れており、永正一四年(一五一七)一〇月一七日の勧進猿楽日記(同文書)では東破塚・西破塚各々から太刀が納められている。ただし保内に属する破塚郷は東破塚で、西破塚は羽田はねだ庄内であったとも推定されている。破塚の商人保内商人一角を構成、同一五年には山越年貢二一二文を(同年一一月一日「山越年貢銭算用状」同文書)、弘治三年(一五五七)には御服年貢を春五〇文・冬一二五文、保内惣分に納めている(同年三月二二日「御服年貢注文案」同文書など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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