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近江国蒲生上郡得珍保(とくちんのほ)の下四郷の商人をさし,野々郷(ののごう)商人,野々川商人ともいわれる。得珍保は比叡山の僧得珍が開発したという伝承をもつ荘園で,滋賀県東近江市の旧八日市市の南部に位置する。室町時代以降,保内商人は延暦寺東塔東谷仏頂尾の衆徒と,守護佐々木六角氏の保護をえて,織田信長の安土城下の形成まで特権的な座商業を展開した。保内商人を輩出した下四郷は畑作地帯で,上四郷に比較して水利の便が悪く,水田化がはなはだしく遅れたが,他方,得珍保は東海道と東山道に挟まれ,伊勢山越ルートである千草街道,八風(はつぷう)街道に接続しており,農業の不利を商業で補った。
商業活動は15世紀初頭以後活発となり,近隣の商人の市場専売権を侵し,市場商売の新たな権利を獲得する。また市場商売を従来の既得権であるかのように見せるため,1157年(保元2)の後白河院院宣などを偽作し,延暦寺や守護六角氏に正文として認めさせ,裁判にも勝利した。15世紀初頭から16世紀半ばまで保内商人の争論の相手は,石塔(いしどう),小幡,横関,枝村,高島南市,近江国中伯楽(ぱくろう),伊勢舞田などの商人である。争論の対象となる商品は塩,海草,呉服,米,紙,木綿,馬などであったが,やがて紛争は市場専売権から特定商品の輸送権をめぐる争論へと変化してくる。伊勢山越商売は小幡,沓掛,石塔とともに〈四本商人〉と称しておこなわれたが,保内商人はやがて小幡商人を排除し,石塔商人を保内商業に従事する足子(あしこ)商人(足子)として扱うようになった。山越商人は掟をもち,座商人としての規律を維持しており,その規律は一種の商人道の成立を意味する。保内商人を構成する下四郷の村人は,上四郷の村人や保内周辺の農民を足子として従属させており,みずからも馬の使用制限,荷物量の規制,収入の抑制などを定めている。この商人の自己規制の中に,中世座商業の性格があらわれている。しかし1576年(天正4)の安土城下における織田信長の掟によって保内商人の牛馬商売の特権は消滅し,保内座商業は終止符を打つのである。
執筆者:仲村 研
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中世に近江(おうみ)国蒲生(がもう)郡得珍保(とくちんのほ)(滋賀県東近江市)に住み、農間副業として、伊勢(いせ)、美濃(みの)、若狭(わかさ)、京都などを結ぶ遠隔地間の仲継商業に従事した商人。得珍保内商人のこと。近世の近江商人の源流をなすもので、鈴鹿(すずか)山越えの伊勢通商を独占した四本(しほん)商人(石塔(いしどう)、小幡(おばた)、沓懸(くつかけ)、保内)の一つである。塩、呉服、紙などの流通路を抑えて、問屋的な営業独占権を行使し、近隣の小幡郷、横関(よこぜき)、五箇(ごか)商人などと争論を起こしている。得珍保は上六郷、下八郷からなり、後者が商人団の中枢をなした。その一郷にあった今堀日吉(いまぼりひよし)神社文書には、保内商人の中世商業のありさまがよく示されている。商人団の構成は徒足(かち)の商人と、馬で運ぶ駄荷(だに)の商人の2階層からなるが、1世帯には馬1匹分の参加しか認めないという平等規制をもっていた。
[脇田晴子]
中世,近江国蒲生郡延暦寺領得珍保(とくちんのほ)の商人集団。今堀郷の商人を中心に団結し,山門(延暦寺)の権威を背景に商業活動を行った。伊勢越商人の中心的存在で,商圏は尾張国・美濃国・伊勢国・若狭国から京都に及んだ。おもに呉服・紙・塩相物を扱い,それぞれに座が結成されていた。付近の石塔・小幡・横関の商人との市場における専売権争い,枝村(えだむら)商人との伊勢越えの通行独占権争いなど,たびたび訴訟をおこした。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…鎌倉時代後半に姿を現し,室町時代初期から商業圏を確立してゆく延暦寺領近江国蒲生郡得珍保(とくちんのほ)の商人(保内(ほない)商人ともいう)は,荘園のなかでは農業生産に恵まれない農民が近江・伊勢の国境の鈴鹿山脈の八風(はつぷう)街道,千草街道の両街道での山越商業に従事したものである。保内商人は延暦寺や守護六角氏から排他的独占権(座権)を認定された。独占権の対象になる商品としては麻苧(あさのお),紙,陶磁器,塩,曲物(わげもの),油草,若布(わかめ),鳥,海苔(のり),荒布(あらめ),魚,伊勢布があげられる。…
…そして千草(菰野町)を経て桑名,四日市方面に至る。 中世にこの街道の通商交通の独占権を有していたのは,得珍保(とくちんほ)今堀郷を中心とする保内商人およびそれと連合したいわゆる〈四本商人〉と呼ばれる座商人群であって,毎年農閑期になると商品を肩に背負い,あるいは馬に背負わせて伊勢から美濃路まで行商を行った。ときには,数百人の人と馬の隊商を組んで千草越えをしたことが,五山の僧侶横川景三(おうせんけいさん)の1468年(応仁2)の日記に記されている。…
…また被差別部落には,〈河原巻物〉ともいわれ,その職能・特権,差別の由来を語るさまざまな由緒書が伝わっているが,そこにしばしば現れる〈延喜御門〉(醍醐天皇)は,16世紀に塩売りとして活動した坂の者(非人)の正当な文書(〈北風文書〉〈八坂神社文書〉)にも現れるので,この由緒書も単に江戸時代に捏造(ねつぞう)されたものではなく,戦国時代のなんらかの事実・伝統を背景にしているのである。このほか,近江保内(ほない)商人の後白河天皇の偽綸旨(りんじ)とつながる由緒書をはじめ,職人の伝える偽文書には由緒書が結びついていたものと思われるが,これらのうち,またぎの〈山立根元巻〉が源頼朝にその特権の起源を結びつけているように,東国の職人には頼朝や徳川家康にみずからをつなげているものが多い。そして職人の由緒書は偽文書とともに,中世後期以降,江戸時代の社会ではそれとして認められ,実効をもったことも見逃してはなるまい。…
※「保内商人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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