神出北村(読み)かんできたむら

日本歴史地名大系 「神出北村」の解説

神出北村
かんできたむら

[現在地名]西区神出町北

印南野いなみの台地北東部の雌岡めつこ山西麓に位置し、南は神出田井かんでたい村。慶長国絵図に北村、正保郷帳に神出ノ北村とみえ、田方一三四石余・畑方四七石余、松山あり。元禄郷帳には北村と記される。南にあった神出中筋かんでなかすじ村と一村になり、天保郷帳に「古は中筋村北村弐ケ村」と注記されて神出北村とある。明石藩領押部組に所属。「采邑私記」、享保年間(一七一六―三六)の「明石記」ともに神出中筋村分を含んで高三六三石余。「明石記」では東西二六〇間・南北一〇五間、家数四〇・人数三一二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む