弓河内村の枝郷で、正保国絵図・正保郷帳には記載がなかったが、元禄国絵図・元禄郷帳では弓河内村から高分けして記載された(元禄一四年「変地其外相改目録」県立博物館蔵)。元禄郷帳によると高三三七石余。正徳元年(一七一一)の郷村高辻帳では高二五九石余(拝領高に相当)。本免五ツ五分。津田氏の給地であった(給人所付帳)。「因幡志」では家数一〇六(うち落ノ河内六・そま小屋一〇)。安政五年(一八五八)の村々生高竈数取調帳では弓河内村の支村であった上村を含め生高四三二石余、竈数九八、ほかに寺屋敷一。
空知支庁南西部にある管内唯一の村。空知郡に属する。明治三三年(一九〇〇)七月同郡岩見沢村から分村して成立し、同年戸長役場が設置された。村域はほぼ三角形をなし、南東は約一九キロにわたる直線で岩見沢市と区画され、北東は道道
喜多村とも(「増補御領地雑事記」森本家文書)。
毛利元就の異母弟四郎就勝は、出家して
河北郡北西部、日本海に面し、
寛文七年の御材木船割符のため船を改めた時の三ヵ国浦方三〇〇石積以上の船数覚(「御分国船持中定書等諸留」中山文書)では、五兵衛が五〇〇石積、一三人乗の船一艘を所持していた。
文化一四年(一八一七)の郷村帳によれば、上佐賀下郷の北村は五領・馬場の地を含むが、
駄市川原の北村天満宮は慶長一二年(一六〇七)銘の肥前鳥居をもち町内で最も古い紀年銘だが、佐賀―
日蓮宗
東を
天正一六年(一五八八)の山田郷地検帳に記される北村二五筆六町八反余のなかには、
津幡川上流
阿賀野川と
慶長六年(一六〇一)結城秀康から多賀谷三経に宛てた知行宛行状(多賀谷文書)に丸岡領として当村(高二五五・七〇八石)も記される。貞享三年(一六八六)以降幕府領、のち福井藩預領となる。宝暦期(一七五一―六四)に書かれた田畑高反別仕分帳(児島家文書)に、「慶長年中太閤様水帳焼失仕候而、正徳三巳年百姓地平均内検地反別ニ御座候」とあり、内訳は、上田一町三反余・分米三二石八斗余・石盛二石四斗、中田二町八反余・分米六六石六斗余・石盛二石三斗、上畑六反余・分米一一石二斗・石盛一石八斗、中畑六反余・分米一一石一斗余・石盛一石七斗、下畑二町余・分米三二石八斗余・石盛一石六斗で、石盛はきわめて高い。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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