神明山城跡(読み)しんめいやまじようあと

日本歴史地名大系 「神明山城跡」の解説

神明山城跡
しんめいやまじようあと

[現在地名]大野市佐開

佐開さびらきの北、うちヶ谷を東へ登詰めた中腹、通称神明山(四五〇メートル)にある。本丸跡と思われる平坦地を取巻くように堀切や掻揚土塁が認められる。山麓の通称殿屋敷とのやしきの地に居館があったらしい。「越前国城蹟考」は時代も城主も不明とするが、「朝倉家記」所収の英林書付に「左兵衛佐義敏山中佐開ト申在所候之処(下略)」とみえ、応仁元年(一四六七)五月、越前へ侵攻した東軍斯波義敏が文明七年(一四七五)四月、土橋どばし城へ入城するまで、当城にいたらしい。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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