日本歴史地名大系 「神田六軒町」の解説 神田六軒町かんだろつけんちよう 東京都:千代田区旧神田区地区神田六軒町[現在地名]千代田区外神田(そとかんだ)一丁目・神田花岡町(かんだはなおかちよう)神田相生(かんだあいおい)町(南側)の北側に位置する片側町。東は同八軒(はちけん)町と柳原大門(やなぎはらだいもん)町、西は神田仲(かんだなか)町三丁目、南は同相生町・牛込袋(うしごめふくろ)町代地、北は神田相生町(北側)・同花房(はなぶさ)町代地。天海在世中(一五三六―一六四三)に中間・陸尺を勤めた者たちが、寛永寺開基後上野屏風(びようぶ)坂(現台東区)の近辺に町屋を拝領し屏風坂下六軒町と称した。元禄一一年(一六九八)の火災で土地を収公され、神田・下谷・浅草の三ヵ所に代地を与えられたことから神田六軒町として起立。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報