福原信蔵(読み)フクハラ シンゾウ

20世紀日本人名事典 「福原信蔵」の解説

福原 信蔵
フクハラ シンゾウ

明治期の陸軍少将



生年
安政3年(1856年)

没年
明治38(1905)年11月30日

出生地
筑前国福岡(福岡県)

学歴〔年〕
陸士卒

経歴
明治5年陸軍幼年学校に入り、陸軍士官学校へ進む。10年西南戦争に陸軍工兵少尉で参謀本部出仕となり、征討軍団付として従軍。15年中尉として参謀本部海防局員、19年大尉、21年頃陸軍部第2局員となり、23年陸海連合大演習で陪従官を務めた。24年軍命で青木宣純ら砲兵大尉3名とベルギーに留学。帰国後、少佐となり、陸軍大学校教官、兵站総監部参謀、占領地総督府参謀、参謀本部第2局員を経て、海軍大学校教官を務める。この間、28年中佐となる。30年大佐、31年土木会委員、32年条約実施委員および林野整理審査委員を務めて、同年韓国に派遣される。工兵課長、33年築城本部御用掛となり、34年欧州に築城技術習得のため出張、同年陸軍砲工学校校長となり、陸軍高等教育会議員を務める。36年少将となり、37年築城本部長を務め、同年日露戦争に第4軍工兵部長として出征した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「福原信蔵」の解説

福原信蔵 ふくはら-しんぞう

1856-1905 明治時代軍人
安政3年生まれ。もと筑前(ちくぜん)福岡藩士。西南戦争に従軍。明治24年ベルギーに留学し,帰国後は陸軍大学校教官。のち陸軍砲工学校長,築城本部長などをつとめた。36年陸軍少将。明治38年11月30日死去。50歳。陸軍士官学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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