秦下郷(読み)はたのしもごう

日本歴史地名大系 「秦下郷」の解説

秦下郷
はたのしもごう

和名抄」高山寺本・東急本ともに訓を欠くが、「波多之資母」とよばれていたものであろう。秦上郷とともにここが渡来系氏族である秦氏の本拠地であったことは確かであり、時期は明確にしがたいが、秦里ないし秦郷が二つに分けられて、秦上・秦下の二郷が成立したものとみられる。この郷の所在地については、「日本地理志料」と「大日本地名辞書」は、現池田市の池田地区に比定するが、「大阪府全志」は池田地区と秦野はたの地区(現池田市)にまたがっていたと考えている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む