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三条天皇 さんじょうてんのう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

三条天皇
さんじょうてんのう

[生]天延4(976).1.3. 京都
[没]寛仁1(1017).5.9. 京都
第 67代の天皇 (在位 1011~16) 。名は居貞 (おきさだ) 。冷泉天皇の第2皇子,母は太政大臣兼家の娘,贈皇太后藤原超子寛弘8 (11) 年即位。藤原氏の全盛時代で,道長が左大臣として権勢をふるった。天皇は東宮のとき大納言藤原済時の娘 娍子 (せいし) と道長の娘妍子 (けんし) の2妃があり,践祚後,娍子に立后の意志があったにもかかわらず,道長をはばかり妍子を皇后に,娍子を中宮に立てた。道長は済時に太政大臣を追贈することを奏して 娍子を皇后に立てたが,皇位継承問題が起ると,外孫の一条天皇第2皇子敦成親王 (のちの後一条天皇) の擁立を強く主張した。そこで天皇は 娍子所生の第1皇子敦明親王を皇太子にすることを条件にその言を入れ,在位4年半の長和5 (1016) 年1月譲位した。陵墓は京都市北区衣笠西尊上院町の北山陵。

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デジタル大辞泉の解説

さんじょう‐てんのう〔サンデウテンワウ〕【三条天皇】

[976~1017]第67代天皇。在位1011~1016。冷泉(れいぜい)天皇の第2皇子。名は居貞(おきさだ)。藤原道長の全盛時代に、失明のため道長の外孫の後一条天皇に譲位。

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百科事典マイペディアの解説

三条天皇【さんじょうてんのう】

平安中期の天皇。在位1011年−1016年。諱(いみな)は居貞(おきさだ)。冷泉天皇の第2皇子で,母は超子。1011年即位。天皇在位中は執政の左大臣藤原道長の全盛期で,天皇は道長としばしば対立した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

三条天皇 さんじょうてんのう

976-1017 平安時代中期,第67代天皇。在位1011-16。
天延4年1月3日生まれ。冷泉(れいぜい)天皇の第2皇子。母は藤原超子。一条天皇の譲位により即位。左大臣藤原道長の全盛期で,その娘妍子(けんし)を中宮(ちゅうぐう)とするが,道長と反りがあわず,在位4年余で譲位した。寛仁(かんにん)元年5月9日死去。42歳。墓所は北山陵(きたやまのみささぎ)(京都市北区)。諱(いみな)は居貞(おきさだ)。法名は金剛浄。
【格言など】心にもあらで憂き世に長らへば恋しかるべき夜半の月かな(「小倉百人一首」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

三条天皇

没年:寛仁1.5.9(1017.6.5)
生年:貞元1.1.3(976.2.5)
平安中期の天皇。名は居貞。冷泉天皇の第2皇子で母は摂政藤原兼家の娘超子。4半世紀の東宮時代を経て,寛弘8(1011)年即位。ときに伯父藤原道長の全盛期であり,外孫の敦成親王(のちの後一条天皇)の即位実現をのぞんだ道長から天皇の眼病を理由に再三にわたり譲位を迫られている。道長のことを「我に対して無礼きわまる」と天皇は憤慨し,中宮妍子は父道長と天皇の間で苦悩している。結局,天皇は第1皇子敦明親王の立太子を条件に長和5(1016)年,妍子と過ごした道長の枇杷殿で譲位した。「心にもあらでうき世にながらへば恋しかるべき夜半の月かな」はそうした折に詠んだ歌である。翌年死去し,京の船岡山で火葬にされ北山に埋納された。陵は京都市北区衣笠の北山陵。<参考文献>加納重文「三条天皇」(『講座平安文学論究』第7輯)

(朧谷寿)

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世界大百科事典 第2版の解説

さんじょうてんのう【三条天皇】

976‐1017(貞元1‐寛仁1)
第67代に数えられる天皇。在位1011‐16年。冷泉天皇第2皇子,母は女御超子(藤原兼家の女)。諱(いみな)は居貞。986年(寛和2)7月従弟の一条天皇即位に際し元服,立太子。1011年(寛弘8)危篤の一条天皇の譲位をうけた。天皇は執政の左大臣道長と不和で,とくに即位の翌年女御妍子(けんし)(道長の女)の立后に引き続き,女御娍子(じようし)(藤原済時の女)を道長の意に反して立后させ,道長はその儀式を妨害するなどの事があり,対立を深めた。

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大辞林 第三版の解説

さんじょうてんのう【三条天皇】

976~1017) 第六七代天皇(在位1011~1016)。名は居貞おきさだ。冷泉天皇の第二皇子。左大臣藤原道長の圧迫で、在位5年で後一条天皇に譲位。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

三条天皇
さんじょうてんのう
(976―1017)

第67代天皇(在位1011~16)。冷泉(れいぜい)天皇第2皇子。母は藤原兼家(かねいえ)の女(むすめ)超子(ちょうし)。諱(いみな)は居貞。986年(寛和2)立太子、1011年(寛弘8)即位したが、このとき超子はすでに亡く、有力な後見を欠き、在位5年の間、絶えず政権を掌握していた藤原道長(みちなが)の専横に悩まされた。天皇が藤原済時(なりとき)の女(かいし)を皇后にたてようとしたとき、道長は他の公卿(くぎょう)とともに参内せず、立后の儀を妨害し、また自分の外孫である敦成(あつひら)親王の1日も早い即位を望み、三条天皇に譲位を迫った。天皇は皇女禎子(ていし)内親王を道長の息頼通(よりみち)に降嫁させることを図り、道長の意を和らげようとしたが、眼疾に脚気(かっけ)が加わり、退位のやむなきに至った。陵墓は京都北山陵。[森田 悌]

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367日誕生日大事典の解説

三条天皇 (さんじょうてんのう)

生年月日:976年1月3日
平安時代中期の第67代の天皇
1017年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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