日本歴史地名大系 「豊島郡」の解説
豊島郡
としまぐん
- 東京都:武蔵国
- 豊島郡
武蔵国の南東部に位置した郡。古代から存在し、明治一一年(一八七八)の郡区町村編制法の施行により、一部が東京府の区部、残余は北豊島・南豊島の二郡に分れて消滅した。「和名抄」東急本に「止志末」、名博本に「トシマ」の訓が付せられている。「砥島」とも書く。郡名は、かつて東京湾が郡東部に入り込んでいて多数の島や洲が形成されていたことに由来すると説かれることがある。「姓氏家系大辞典」は「摂津豊島郡なる豊島連の移住して開拓せる地」であることより豊島の郡名となったとするが、当否不詳。江戸時代の郡境は北は足立郡、東は葛飾郡、南は
〔古代〕
武蔵国国分寺瓦中に「豊」の正字とその逆字および「豊瓦」の押印一五種、「豊」のヘラ書を施したものが検出されている。「和名抄」所載の郷は
占方郷は海岸に面しているという意味の浦方を語義とすると説かれることがあるが、卜占に由来するとすれば、「万葉集」巻一四に収める歌「武蔵野に占へ肩焼き真実にも告らぬ君が名卜に出にけり」から窺知される、武蔵国で盛んであった卜占を事とする人たちの居住が考えられる。国分寺瓦中の人名記載より、郷名は不詳であるが、豊島郡某郷戸主として占部乙麻呂の名前が知られており、乙麻呂は卜占者の一人であったとみることができよう。なお、占部乙麻呂を根拠に、占方郷は「白方郷」の誤記とする説を否定する見解がある。神護景雲三年九月に入間郡家正倉に神火が発生すると直ぐに卜占が行われ、出雲伊波比神の祟りによることを明らかにしているが(宝亀三年一二月一九日「太政官符」天理大学附属天理図書館所蔵文書)、乙麻呂のような卜占者が関与していたのであろう。
豊島郡
てしまぐん
- 大阪府:摂津国
- 豊島郡
摂津国東部の
〔原始・古代〕
北摂山地南部とその山麓、千里丘陵東部などには旧石器時代・縄文時代の遺跡が数多く知られており、また弥生期に入っても引続いて五月山公園遺跡・
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報