秦大津父(読み)はたのおおつち

朝日日本歴史人物事典 「秦大津父」の解説

秦大津父

生年生没年不詳
5世紀後半から6世紀前半ごろの山背国紀郡深草里(京都市伏見区)の人。欽明天皇が即位する以前,秦大津父なる人物を優遇すれば天下を治めることができるという夢告があり,これを求めたところ秦氏の主要な居住地である山背国の紀郡深草里に発見した。大津父は商業に携わっており,伊勢(三重県)からの帰り道,2匹の狼が争うのをやめさせて命を永らえさせた経験を話した。欽明はこれを聞いて喜び,大津父を近侍させ,ついに即位すると大蔵省役人に任じたという。この説話は,安閑・宣化と欽明の対立を暗示するものとして興味深いが,秦氏の一族に商業活動を行うもののいたことが確認される点でも重要である。

(大平聡)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「秦大津父」の解説

秦大津父 はたの-おおつち

?-? 6世紀の官吏
山背(やましろ)(京都府)の人。はじめ商いにたずさわっていたが,欽明天皇元年(540)大蔵の官吏に任命された。その理由は天皇がおさないとき,大津父を寵愛すれば皇位につくことができるという夢をみたからだという。

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世界大百科事典(旧版)内の秦大津父の言及

【秦氏】より

…太秦(うずまさ)とは,酒公が朝廷に絹をうず高く積んだのでその名があるというが,山背より京に本貫を移した秦氏の別称であろう。ついで,欽明天皇のとき,山背紀伊郡人秦大津父(おおつち)が〈大蔵〉の官に任ぜられ,〈秦人〉7053戸を戸籍に付し,〈大蔵掾〉として,その伴造(とものみやつこ)となったという。ついで,秦河勝がある。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」