日本大百科全書(ニッポニカ) 「秦野煙草」の意味・わかりやすい解説
秦野煙草
はだのたばこ
波多野煙草とも書く。江戸時代後期、相模(さがみ)国(神奈川県)大住郡秦野地方23か村に生産された煙草。また同国足柄上(あしがらかみ)郡松田惣領(そうりょう)村など九か村の煙草を松田煙草というが、これを含めた総称を秦野煙草ともいう。起源は明暦(めいれき)年間(1655~58)廻国(かいこく)中の修験(しゅげん)が肥前(ひぜん)国あたりから伝えたといわれる。初め自家用として田の畦(あぜ)に自播(じはん)で栽培したが、1707年(宝永4)富士山噴火を機として本田畑で商品として大量に生産され、通常いう秦野煙草が始まった。1834年(天保5)には丹後(たんご)・吉野煙草と比肩され、52年(嘉永5)草山貞胤(さだたね)が改良を加え、横浜開港後は外人にも認められた。その後も改良は進み、栽培はいまも続いている。『新編相模国風土記(ふどき)稿』では秦野煙草を「最佳品」といっている。
[神﨑彰利]