コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

相模 さがみ

10件 の用語解説(相模の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

相模
さがみ

平安時代中期の女流歌人。乙侍従 (おとじじゅう) ともいう。父は源頼光 (よりみつ) といわれる。相模守大江公資 (きんすけ) の妻。一条天皇皇女脩子 (しゅうし) 内親王に出仕。長元8 (1035) 年『賀陽院水閣歌合』,天喜4 (56) 年『皇后宮寛子歌合』などに出詠し,『後拾遺集』以下の勅撰集に 110首近く入集。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

さがみ【相模/相摸】

旧国名の一。今の神奈川県の大部分に相当する。相州。
相模女」の略。

さがみ【相模】

平安中期の女流歌人。相模守大江公資(おおえのきんより)の妻であったことからその名がある。脩子(しゅうし)内親王に仕え、多くの歌合に参加。家集に「相模集」がある。生没年未詳。

さがむ【相模】

相模(さがみ)の古称。
「―嶺(ね)の小峰見隠し」〈・三三六二〉

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

相模 さがみ

?-? 平安時代中期の歌人。
長徳4年(998)ごろの生まれ。一説に源頼光(よりみつ)の養女。乙侍従(おとじじゅう)とよばれたが,相模守(さがみのかみ)大江公資(きんより)と結婚して相模とよばれる。のち公資と不仲となり,脩子(しゅうし)内親王につかえ,内裏歌合(だいりうたあわせ)などで歌をよんだ。「後拾遺和歌集」などの勅撰集に100首以上おさめられている。中古三十六歌仙のひとり。家集に「相模集」。
【格言など】恨みわび干さぬ袖だにあるものを恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ(「小倉百人一首」)

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

相模

没年:康平4以降(1061)
生年:生年不詳
平安時代の歌人。源頼光の娘,養女ともいう。母は慶滋保章 の娘。最初女房として出仕,乙侍従と呼ばれたが,大江公資の妻となり,夫の任国の相模に下向,相模と呼ばれる。夫との仲は破綻し,箱根権現参詣の際に奉納した「走湯百首」には満たされない心中を訴えた作が多い。これに対し権現の僧より返歌100首が寄せられ,相模は再度100首を奉納。百首歌の贈答は例が少なく,ひたむきに心情を訴えたその作風とともに注目される。帰京後,思いを寄せていた藤原定頼と一時交渉を持ち,やがて脩子内親王家に出仕。長元8(1035)年の賀陽院水閣歌合で賞賛を受け,以後多くの歌合に出詠。男性歌人と並ぶ歌壇の中心として活躍,藤原範永など若い受領層歌人たちの指導者ともなった。『後拾遺集』以下の勅撰集に100首以上が入集。『相模集』などの家集が残る。<参考文献>武内はるゑ他『相模集全釈』

(山本登朗)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

大辞林 第三版の解説

さがみ【相模】

◇ 旧国名の一。神奈川県の大部分に相当する。相州そうしゆう
「相模女」「相模下女」の略。
人名(別項参照)。

さがみ【相模】

平安中期の女流歌人。初め乙おと侍従と呼ばれたが、相模守大江公資きんよりと結婚、相模と呼ばれる。公資と離別後、脩子内親王に仕え、多くの歌合に出詠。後拾遺集には四〇首入集。生没年未詳。家集「相模集」

さがむ【相模】

「さがみ(相模)」の古名。 「 -路のよろぎの浜のまなごなす/万葉集 3372

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

相模
さがみ

生没年不詳。平安中期の女流歌人で、中古三十六歌仙の一人。源頼光(よりみつ)の娘(養女とも)。母は慶滋保章女(よししげのやすあきらのむすめ)。初め皇太后妍子(けんし)に仕え乙侍従(おとじじゅう)とよばれたが、相模守(さがみのかみ)大江公資(きんより)と結婚して任地に下向、上京後、藤原定頼(さだより)との恋愛を経て公資と離別、一品宮修子(いっぽんのみやしゅうし)内親王に仕えて相模とよばれた。歌人としては寛弘(かんこう)(1004~12)末年からの詠歌が知られ、長元(ちょうげん)8年(1035)「賀陽院水閣歌合(かやのいんすいかくうたあわせ)」、永承(えいしょう)4年(1049)「内裏(だいり)歌合」、同6年「四条宮春秋(しじょうのみやしゅんじゅう)歌合」などに活躍、能因とともに和歌六人党歌人の指導者でもあった。家集に『相模集』『思女(しじょ)集』などがあり、『後拾遺(ごしゅうい)集』以下の勅撰(ちょくせん)集に110首をとどめる。詠風は繊細にして清新、完成度の高いものである。
 恨みわびほさぬ袖(そで)だにあるものを恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ[犬養 廉]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

相模の関連キーワード九条院卜部季武頼光在五忌碓氷貞光藤原定頼母源師賢源頼家(1)源頼綱

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone

相模の関連情報