日本歴史地名大系 「稲子河岸」の解説
稲子河岸
いなごがし
[現在地名]羽生市稲子
江戸時代の稲子村利根川岸にあった河岸。元禄三年(一六九〇)の関東八ヶ国所々御城米運賃改帳(千葉県伊能家文書)によると、江戸まで水路二七里、二分七厘(百姓から六厘足す)が定められている。問屋株は稲子村喜右衛門の持分であったが、寛保二年(一七四二)には同村新助が預り勤めることになった(「稲子河岸場并問屋役預証文」栗原家文書)。安永年間(一七七二―八一)と推定される利根川沿岸絵図(群馬県前橋市立図書館蔵)に問屋としてみえる源右衛門は、前掲新助と同家。近世後期に至ると江戸十組奥川積問屋仲間として江戸
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報