20世紀日本人名事典 「稲葉昌丸」の解説 稲葉 昌丸イナバ マサマル 明治〜昭和期の僧侶 元・浄土真宗大谷派寺務総長;元・大谷大学学長。 生年元治2年3月4日(1865年) 没年昭和19(1944)年1月29日 出生地大阪市北区 学歴〔年〕東京帝大理科大学動物学科〔明治22年〕卒 経歴明治22年8月京都府尋常中学校教諭となって校長兼任。26年3月大谷尋常中学校教諭、同年9月第一中学寮教授兼大学寮教授。清沢満之らと本山寺務改革を唱え、30年2月除名され、31年4月処分を解かれ8月真宗京都中学校長となった。大正4年4月からは本山内事局長、寺務総長、昭和3〜6年大谷大学長となり宗政と教学に尽くした。晩年は蓮如上人の研究に打ち込んだ。編著「蓮如上人行実」「蓮如上人遺文」「定本満之文集」(共編)など。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「稲葉昌丸」の解説 稲葉昌丸 いなば-まさまる 1865-1944 明治-昭和時代前期の僧。元治2年3月4日生まれ。生家は大坂の真宗大谷派徳竜寺。明治22年京都府立中学教諭,翌年校長。26年大谷中学教諭。清沢満之(まんし)らと宗門改革をとなえ,30年除名処分となる。のち復帰し,大谷派寺務総長などをへて昭和3年大谷大学長。昭和19年1月29日死去。80歳。帝国大学卒。編著に「蓮如上人行実」。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by