穂浪北郷(読み)ほなみほくごう

日本歴史地名大系 「穂浪北郷」の解説

穂浪北郷
ほなみほくごう

平安時代以降南・北に分割されていた穂浪郡の北部。北郷と南郷の境界線は不明。平安期北郷には宇佐宮領椿つばき庄を本庄として広範囲に形成された「椿新庄」(穂浪郡宮吉名田)が存在し、田数三五九町六反余(封田四三町・敷地神田一〇町九反余を含む)という大規模なものであった(宇佐大鏡)。正応二年(一二八九)に「穂波北郷寛能丸名田畠」の沽却問題をめぐり惣領峯宗能と庶子高松平四郎が相論しているが(同年四月七日「関東下知状案」新田神社文書/鎌倉遺文二二)、高松氏は高松たかまつ(現太郎丸のうち)の在地領主であり、当郷の南限が椿・太郎丸たろうまる一帯よりも南に下る可能性が高い。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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