九州征伐(読み)きゅうしゅうせいばつ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

九州征伐
きゅうしゅうせいばつ

天正 15 (1587) 年,豊臣秀吉が九州に遠征し,島津義久を破ってこれを降伏させ,九州全土を平定した戦い。秀吉は全国統一を目指し,天正 12年,小牧・長久手の戦いに徳川家康と和し,中央の制覇を実現し,翌 13年,四国征伐を行なって,長宗我部氏を下した。当時,九州では豊後の大友宗麟薩摩の島津義久が覇を競っていたが,同6年,日向耳川の戦いに大友氏が敗れて以来,島津氏が優位に立った。同 13年,島津義久は兵を出して大友氏の本拠に迫ったので,翌 14年3月,大友宗麟は秀吉に助けを求めた。秀吉は島津義久に対し和平をすすめたが,義久がこれを受けなかったので,同 12月,畿内,南海,北陸,東海,東山,山陰,山陽の諸道に令を発し,九州征伐の軍を起した。翌 15年1月,秀吉は諸将を大坂に集め,同年3月,九州に入った。総勢 25万という。同年5月,薩摩に入り,義久は連敗してくだった。島津氏は薩摩,日向,大隅の所領を認められ,これによって秀吉の九州平定が成った。

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デジタル大辞泉の解説

きゅうしゅう‐せいばつ〔キウシウ‐〕【九州征伐】

天正15年(1587)豊臣秀吉が島津氏を征服した戦い。秀吉は大友・島津両氏の抗争の調停に入り、休戦を拒否した島津義久を倒し、九州全土を支配下におさめた。

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百科事典マイペディアの解説

九州征伐【きゅうしゅうせいばつ】

1587年豊臣秀吉島津義久(よしひさ)を服属させ,九州を統一するために行った戦役。中国明国への出兵基地として九州を構想していた秀吉は,大友氏を破り筑前(ちくぜん)にまで勢力を拡大し,秀吉の命に従わない島津氏に対し,20万余の大軍を率い,みずから筑前・肥後(ひご)方面から攻撃。5月に島津氏は降伏,薩摩(さつま),大隅(おおすみ)2国を安堵された。6月に九州国分(くにわけ)を行い,博多を直轄都市とし,九州を〈五畿内同前〉の体制とすることとした。
→関連項目飫肥藩

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世界大百科事典 第2版の解説

きゅうしゅうせいばつ【九州征伐】

1587年(天正15)豊臣秀吉が薩摩島津氏の服属を主目的に九州統一をするため,みずから行った戦役。島津氏は1578年大友氏を下して以降,その勢力を肥後,肥前,筑後に及ぼし九州を手中にする勢力に拡大した。その報を聞き,全国統一を画していた秀吉は,85年10月,勅を奉じて島津義久を諭し,大友氏と和を図らせる停戦令を出したが,島津氏は〈秀吉は由来なき仁,返書は笑止〉として応諾しなかったばかりか,島津氏の行動を正当とし,対決姿勢を示した。

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大辞林 第三版の解説

きゅうしゅうせいばつ【九州征伐】

1587年、豊臣秀吉が薩摩の島津氏を征服して、九州全土を支配下においた戦役。

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