日本大百科全書(ニッポニカ) 「竹並横穴墓群」の意味・わかりやすい解説
竹並横穴墓群
たけなみよこあなぼぐん
福岡県行橋(ゆくはし)市竹並にある古墳時代の横穴墓群。京都(みやこ)平野南部の低い丘陵地帯にあり、1974年(昭和49)から76年にかけて発掘調査が行われ、948基の横穴墓が発見された。このほか調査以前に破壊された横穴墓、未調査のものを含めると総数1000基以上の大横穴墓群が存在した。竹並横穴墓群の調査では、これまでの小規模な発掘で解明できなかった、横穴墓の群としてのまとまりが明らかになった。さらに5世紀後半までさかのぼる初期横穴墓の発見で、横穴墓の初現問題を提起し、そのほか墳丘を有する横穴墓の発見で、横穴墓にも地上の標式としての墳丘をもつ事実が確認された。また横穴墓の形態が時期により変化しており、豊富な出土遺物から横穴墓の時期的な変遷が確かめられた。さらに横穴墓内より検出された214体の人骨から、埋葬単位の変遷や被葬者集団まで言及できる。竹並横穴墓群は古墳時代後半の社会構造を解明する重要な遺跡である。
[赤崎敏男]
『竹並遺跡調査会編『竹並遺跡』(1979・東出版寧楽社)』