竹並遺跡(読み)たけなみいせき

日本歴史地名大系 「竹並遺跡」の解説

竹並遺跡
たけなみいせき

[現在地名]行橋市南泉二―三丁目

京都みやこ平野の南側、標高五〇メートル前後の花崗岩爛土の丘陵地帯に立地する弥生時代から古墳時代の遺跡。昭和四九年(一九七四)から同五一年に発掘調査が行われた。弥生時代の遺構集落墳墓があり、住居跡一九軒・袋状竪穴九二基・土壙墓一二基・木棺墓三基・石蓋土壙墓三基が確認されている。古墳時代には当遺跡一帯はもっぱら墓地として用いられ、前半期に円墳一四基・方墳九基・方形周溝墓四基が確認され、後期には横穴式石室墳一六基と当遺跡を代表する一千基を超す横穴墓が築かれた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「竹並遺跡」の意味・わかりやすい解説

竹並遺跡 (たけなみいせき)

福岡県行橋市大字竹並に所在する,弥生時代・古墳時代の複合遺跡。広い丘陵全体にひろがる遺跡で,弥生時代中期の住居跡,貯蔵穴,古墳時代前期の小古墳群,古墳時代後期の横穴式石室をもつ群集墳と群集横穴墓群からなりたっている。最大の特色は横穴墓群である。未調査のものを含めて,約1500基ぐらいがあり,そのうちの約1000基が調査されている。5世紀後半から8世紀前半まで,連続してつくられており,埋葬変遷をたどることができる。前期の横穴墓は単独であるのに対して,後期の横穴墓は墓道を共有して,数基の横穴墓がつくられるという形態的な変遷と,単数埋葬から複数埋葬という個人墓から家族墓的性格への変化を知ることができる。埋葬人骨もよく残っており,《正倉院文書》のなかにある豊前国戸籍記載の古代の家族構成とも類似していることがわかる。古墳時代後期における家父長的大家族とその墳墓形成の状況を知ることのできる重要な遺跡である。
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