朝日日本歴史人物事典 「竹田治蔵」の解説
竹田治蔵
生年:生年不詳
江戸中期,上方の歌舞伎狂言作者。前名左貫治兵衛(治平),竹田治平。通称讃岐屋治蔵。弟は人形遣い吉田宇蔵。2代目竹田出雲門下の浄瑠璃作者から歌舞伎に転じたとされる。宝暦5(1755)年大坂角の芝居の番付に初めて狂言作者としての名をあらわし,8年に立作者となって,12年まで活躍。野心あって初代並木正三に師事しつつ同座せず,正三と並び称されるほど力量を認められるが,大酒ゆえか寡作にして没。種々の先行浄瑠璃の趣向をとり入れて新しく構成する「はめ物」の手法を先駆的に用い,また,がんどう返しや斜めのせり上げの創案者と伝えられるように舞台技巧をも十分に活用して作品を成した。その多くは時代物で,初代中村歌右衛門らの実悪役者を活躍させた。代表作は「秋葉権現廻船語」「鐘鳴今朝噂」など。<参考文献>河合真澄「宝暦期上方歌舞伎の浄瑠璃摂取」(『芸能史研究』90号)
(上野典子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報