笠庄(読み)かさのしよう

日本歴史地名大系 「笠庄」の解説

笠庄
かさのしよう

琵琶湖岸の現下笠しもがさ町・上笠町付近一帯に比定される。文永(一二六四―七五)頃の興福寺人夫召注文(内閣本大乗院文書御参宮雑々)に「笠庄卅人内十人参了」とみえ、当時は奈良興福寺領であった。弘安八年(一二八五)五月二〇日書写の興福寺維摩会不足米餅等定(興福寺文書)では当庄に長莚二〇枚が賦課されており、元応元年(一三一九)には興福寺の大垣修理などが命じられた(同年九月日「興福寺大垣修理支配状」内閣文庫蔵大乗院文書文保三年記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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