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(今谷明)
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室町幕府第9代将軍。寛正(かんしょう)6年11月23日生まれ。義政(よしまさ)の嫡子。1488年(長享2)6月義煕(よしひろ)と改名。応仁(おうにん)の乱中に幼少のまま就位したが、その治世の前半は、生母日野富子、外戚(がいせき)日野勝光(かつみつ)、大御所足利義政らが実権を握り、傀儡(かいらい)的存在であった。1483年(文明15)義政が東山(ひがしやま)山荘に隠栖(いんせい)してようやく幕政を掌握、1487年(長享1)には寺社本所(ほんじょ)領回復を名目として六角(ろっかく)征伐を起こし、近江(おうみ)(滋賀県)鉤(まがり)に幕府を移した。しかしこの挙は、荘園(しょうえん)回復に名を借りた将軍親裁権強化策であったため、管領(かんれい)細川政元(まさもと)と対立、自身も深酒と荒淫(こういん)のため延徳(えんとく)元年3月26日、近江で陣没した。
[今谷 明]
室町幕府9代将軍。号常徳院。義政の子。のち義煕(よしひろ)と改名。義政が弟義視を家督に指定した後,日野富子との間に出生し,彼の誕生が応仁・文明の乱の一因となった。73年(文明5)将軍に就任し,母富子が後見。乱後は将軍親裁権の強化をはかり,87年(長享1)みずから六角征伐の軍を指揮,占領地を奉行人・奉公衆等の近習に与えたが,深酒と荒淫のため鈎(まがり)の陣中に病死。
執筆者:今谷 明
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1465.11.23~89.3.26
室町幕府の9代将軍(1473.12.19~89.3.26)。8代義政の長子。母は日野富子。のち義熙(よしひろ)と改名。法名常徳院悦山道治。従一位内大臣・贈太政大臣。1473年(文明5)9歳で将軍となる。79年に御判始(ごはんはじめ)・評定始・御前沙汰(ごぜんざた)始を行うが,政務はいぜん義政がとった。83年頃から政務に関与するようになるが,実権は義政が握っており,85年には義尚の不満が奉公衆と奉行人との抗争事件というかたちで顕在化した。義尚は奉公衆を中心に自己の基盤の強化を企て,87年(長享元)六角高頼征討のため近江出陣を断行。2年後,鈎(まがり)(現,滋賀県栗東(りっとう)市)の陣中で病没。和歌をよくし,歌集「常徳院集」がある。
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…室町時代末期にあたる1467‐77年(応仁1‐文明9)に京都を中心に全国的規模で展開された内乱。この乱では,東軍(細川勝元方)と西軍(山名持豊(宗全)方)に分かれて,全国各地ではげしい合戦が展開され,中央の状況だけではなく各地の政治的状況が反映していた。
【原因】
[家督争い]
乱の原因は複雑な要素からなっていたが,その中でも表面だった要因の一つに,有力守護家内部における家督争いと,有力守護大名間の対立があげられる。…
※「足利義尚」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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