改訂新版 世界大百科事典 「紀伊国造」の意味・わかりやすい解説
紀伊国造 (きのくにのみやつこ)
大化前代,紀伊国北部に置かれた地方官。名草郡に本拠をもつ豪族紀直氏が世襲的に任命された。紀直氏は紀ノ川下流域を開発した地方豪族で,日前(ひのくま)・国懸(くにかかす)両社を奉斎し,祭政両面にわたる勢威を有した。《旧事本紀》《紀伊国造系図》によれば,神武天皇の世,その祖天道根命が当国国造に任ぜられたのに始まるという。《古事記》《日本書紀》にも紀国造もしくはその祖として,宇豆比古(孝元記),荒河刀弁(崇神記),豊耳(神功紀),押勝(敏達紀)らの名が見える。大化後は名草郡大領を兼ねることが多く,在地に強大な勢力をふるった。平安時代まで,出雲国造と並んで任国造の儀は朝廷で行われた(《貞観儀式》)。鎌倉時代には3000町歩と号する神領を支配し,国造家の全盛期を現出したが,1585年(天正13)の豊臣秀吉の南征にあたって反抗し,社殿は破却され,神領も没収された。寛永年中,南紀徳川家の援助で社殿は復旧されたが,国造の世俗的な勢力は失われ,日前・国懸社の神職の長として幕末に至った。
→紀氏
執筆者:薗田 香融
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報