紋屋町
もんやちよう
上京区大宮通五辻半丁上ル西入
町の中央を南北に智恵光院通が通り、町の西は浄福寺通。
寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「聖天ノ図子」、寛文五年(一六六五)刊「京雀」に「かんやの辻子」とある。元禄末期洛中絵図に「紋屋ノ辻子」、天保二年(一八三一)改正京町絵図細見大成でも「紋や図子丁」とある。町名は紋織を発明した織屋がいたからといわれ、京都御役所向大概覚書によれば織物師の三上理右衛門・井関治右衛門・同喜八が居住していた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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