経力村(読み)きようりきむら

日本歴史地名大系 「経力村」の解説

経力村
きようりきむら

[現在地名]富山市経力

陀羅尼寺だらにじ村の西に位置し、東を飛騨街道(布市道)が通る。中世太田おおた保のうちにあったとみられ、現新潟県小千谷おぢや魚沼うおぬま神社所蔵の大般若経巻三三七の奥書に明徳三年(一三九二)九月八日の年紀銘とともに「太田保経力長福寺書写畢、執筆乃尊」とある。長福ちようふく寺の跡地には現在浄土真宗本願寺派本誓ほんせい寺がある。永禄五年(一五六二)四月一七日に水越勝重が槻尾氏知行のうちの「長福寺分五百苅并畠野山共ニ」を本覚ほんかく(現婦中町)に寄進している(「勝重寄進状」本覚寺文書)。同九年六月一一日には神保長職がこの寄進地を安堵したことを本覚寺に伝えている(「神保長職書状」同文書)。その後神保氏の衰退によって寺は荒廃したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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