網島町
あみじまちよう
[現在地名]都島区網島町
大坂三郷北組に属し、淀川と鯰江川に挟まれ、備前島町から東成郡野田村に深く食込んだ町で、東端に近松門左衛門の浄瑠璃「心中天の網島」で有名な大長寺があった。網島の地名について「摂津名所図会大成」は「此地ハ淀川のつゝみにして漁家つらなり鮮魚を多く市に出す。さる程に軒毎に終日網を干ゆへ斯ハなづけ初しなるべし」と記し、「大阪府全志」によれば、当地はもと島下郡吹田村(現吹田市)と野田村の網干場であったが、寛文二年(一六六二)頃大坂三郷に編入され町名を称したという。元禄一三年(一七〇〇)の三郷水帳寄帳によれば屋敷数三一・役数九役と半役で、うち年寄分半役が無役。年寄は網打九郎右衛門。宗旨組合は野田町に同じ。延享版「難波丸綱目」には灸医一・遊山茶屋一を載せる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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