平安時代の貴族の舟遊びにルーツがあるとされ、江戸時代には有力商人や大名が自慢の船で遊覧するようになり、庶民も小型の船で楽しむようになった。高度経済成長期に水質汚染などが進んだため、勢いを失ったが、1980年代に再び脚光を浴び、エアコンや水洗トイレ、カラオケ付きの船が登場した。東京湾のほか、大阪市や名古屋市でも運航されている。
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出典 共同通信社 共同通信ニュース用語解説共同通信ニュース用語解説について 情報
川遊びなどに用いられた屋形(家の形をした覆い)を据え付けた船。楼船(ろうせん)ともいう。古くは平安時代にさかのぼり、貴族の遊山(ゆさん)用の船、年貢輸送船、商船などに屋形をつけることが多かった。そのなかには舁据(かきすえ)屋形船とよばれる簡易な屋形もあり、平安以後も用途により絶えることなく続いた。しかし一般に屋形船といえば、江戸時代、花見、納涼、花火、月見の際に大名、豪商などが川面(かわも)に浮かべた豪華な遊覧船をさす。江戸では隅田川の両国橋付近が有名で、承応(じょうおう)・万治(まんじ)年間(1652~61)には大型船になった。九間一(くまいち)丸(熊市丸)は座敷九間(ま)に台所一間(ま)で、八間一(やまいち)丸(山市丸)は座敷八間に台所一間あった。「屋形船、山の這(は)い出る如(ごと)くなり」と川柳にもあり、船体は金具や漆で飾り、船室の襖絵(ふすまえ)に贅(ぜい)を尽くした。芸妓(げいぎ)を乗船させて酒宴を開き、ときには屋形船を二艘(そう)つないで、一艘を踊り船とした。武士は屋形に槍(やり)を立てかけて威勢を示し、大坂には二階造りの大屋形もあった。寛文(かんぶん)・延宝(えんぽう)年間(1661~81)が屋形船の全盛期であった。幕府は1682年(天和2)に船の寸法を定め大船を禁止し、その後も相次ぐ倹約令により、また簡易な屋根船(やねぶね)の新造によって屋形船の使用は減少した。
[稲垣史生]
上に屋形を設けた船。〈御座船〉とも〈遊山船〉ともいった。平安時代以後川舟などに用いられたが,中世までは貴人専用であった。江戸時代に町人のあいだにも普及し,遊興に遊山船を雇う風が盛んになった。《和漢船用集》に〈凡遊山船諸国にあり,武州にても屋形舟と云,御座船と呼〉と見え,江戸隅田川や大坂淀川の屋形船には大型で豪奢なものもあった。漕具はさおを主とした。
執筆者:石塚 尊俊
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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