綴喜郷
つづきごう
「和名抄」刊本は「豆々木」と訓じる。「日本書紀」継体天皇五年一〇月条に「都を山背の筒城に遷す」とあり、同一二年まで筒城に都を置いたという。またこれよりさかのぼる同書仁徳天皇三〇年の記事に、筒城宮を筒城岡の南に造ったという話がある。綴喜郷にかかわる所伝であろうか。
史料を欠き、所在も明確にしがたいが、嘉吉元年(一四四一)の「興福寺官務牒疏」は普賢寺(跡地は現田辺町大字普賢寺)の所在を「在
同州綴喜郡筒城郷朱智長岡荘
」と記す。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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