美濃庄(読み)みののしよう

日本歴史地名大系 「美濃庄」の解説

美濃庄
みののしよう

嘉禄二年(一二二六)の勧学院政所下文案(内閣文庫蔵大乗院文書)に一品位田の所在について「(京南三条)二里廿四坪・廿五坪美乃庄」とみえる。ここに美乃庄をみうるが、領主などはわからない。その所在は坪付によると、現美濃庄みのしよう町に比定される。その後については、応永六年(一三九九)の興福寺造営段米田数帳(春日神社文書)添上郡に「一乗院方 美濃庄十八町五段」とみえるので、興福寺一乗院領になったと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む