日本歴史地名大系 「美濃郡」の解説
美濃郡
みのぐん
県の南西部に位置。近世までの美濃郡は石見国の南西部にあたり、北から西は日本海に臨み、南は
〔古代〕
平城京二条大路跡出土木簡に「石見国美濃郡大野郷高葛里」とみえる。神護景雲二年(七六八)美濃郡人額田部蘇提売が節婦とされ、田租が終身免除となった(「続日本紀」同年二月八日条)。承和一〇年には「美農郡」を分割して鹿足郡が新しく立てられた(「続日本後紀」同年五月八日条)。「文徳実録」斉衡元年(八五四)一一月三〇日条によれば、石見国で醴泉が発見されたが、その泉水の献上によって元号が仁寿(八五一―八五四)から斉衡に変わり、美濃郡大領檜前淡海麻呂が正六位上に叙されている。「三代実録」貞観六年(八六四)二月一七日条によると、先年「美乃郡」海岸に新羅国人三〇余人が漂着したが、行程における食糧を給し締出している。元慶五年(八八一)には美濃郡
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報