日本歴史地名大系 「羽附村」の解説 羽附村はねつくむら 群馬県:館林市羽附村[現在地名]館林市花山町(はなやまちよう)・羽附町・楠町(くすのきちよう)・羽附旭町(はねつくあさひちよう)城(じよう)沼の南・東に位置し、東境を鶴生田(つるうだ)川が南流する。東は籾谷(もみや)村・岩田(いわた)村(現邑楽郡板倉町)、西は松原(まつばら)村、南は南東の一隅谷田(やた)川をもって江黒(えぐろ)村・斗合田(とごた)村(現同郡明和村)、および赤生田(あこうだ)村、北は館林町・当郷(とうごう)村・四ッ谷(よつや)村・田谷(たや)村と境を接する。中世は佐貫(さぬき)庄に属する。羽禰継・羽続とも記され、羽継原(はねつぐはら)とよばれる原野を残していた。嘉暦三年(一三二八)四月八日の三善貞広寄進状案(長楽寺文書)に添えられたと思われる弘願寺寺領注文案(同文書)に「同庄内羽継郷内名田畠」とある。鎌倉末期には幕府吏僚の摂津親鑒が知行しており、建武新政権下では「下佐貫内羽禰継」が武蔵武士の別府幸時に与えられている(建武元年五月三日「後醍醐天皇綸旨」別符文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by