朝日日本歴史人物事典 「摂津親鑒」の解説
摂津親鑒
生年:生年不詳
鎌倉幕府の評定衆。越訴奉行。藤原親致の子。嘉元3(1305)年,正和3(1314)年に越訴奉行に在任していたことが確認される。正和4年6月,同年3月8日夜に焼失した鶴岡八幡宮造営の大奉行となる。同年,太田時連に添えられて問注所執事となる。文保の和談(1317)では,鎌倉の意向を朝廷に伝える使節として上洛。その後,正中2(1325)年には,御所奉行の在任が確認される。嘉暦1(1326)年3月の評定に,評定衆としてみえる。また,この時期に出家し,法名を道準と称した。翌嘉暦2年には引付頭人となる。元弘1(1331)年の引付改編では,引付頭人から外れた。<参考文献>佐藤進一「鎌倉幕府職員表復原の試み」(『中央大学文学部紀要/史学科篇』28~30,32号)
(永井晋)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報