耳原村(読み)みのはらむら

日本歴史地名大系 「耳原村」の解説

耳原村
みのはらむら

[現在地名]茨木市耳原一―三丁目・南耳原(みなみみのはら)一―二丁目・十日市(とおかいち)町・南安威(みなみあい)三丁目

上野(うえの)村の北東、標高二五メートル前後の台地上にあり、西国街道沿いに集落が発達。慶長一〇年(一六〇五)の摂津国絵図に「箕原村」とみえるが、「摂陽群談」には「世俗美奈原と称し、皆原に作る」とあるので「みなはら」ともいったようである。文永四年(一二六七)四月一〇日の比丘尼蓮阿弥陀仏田地寄進状(勝尾寺文書)に「耳原村田壱段」を勝尾寺二季彼岸僧饌用途として寄進したことがみえる。同七年正月八日付僧慶意畠地寄進状(同文書)には「島下郡東条耳原村内、五条七里八坪壱町者、大田保酒造領畠□(也)」とあり、村内に造酒司領大田(おおだ)保に属する畑一町があり、うち五反分一升五合が勝尾(かつお)寺(現箕面市)薬師堂に灯油料として寄進された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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