能田 誉重(読み)ノウダ タカシゲ

20世紀日本人名事典 「能田 誉重」の解説

能田 誉重
ノウダ タカシゲ

明治・大正期の神官:国学



生年
嘉永3年9月27日(1850年)

没年
大正8(1919)年9月3日

出生地
阿波国板野郡堀江村(徳島県)

経歴
幼名は右近、のち誉重に改める。四十宮石田の門に入り漢学を学び、近藤忠直・多田直清について国学を研究した。阿波徳島に帰郷して独学を続け、「万葉集」を研究し、3年間掛けて自注付きの「古万葉集」(全20巻)を作る。のち四国・中国地方・畿内の国学者を歴訪し研鑽を経て、階級一等仮試験に合格、学階司業制度化されると四等司業を受け、明治27年中教院で万葉集を試講し学才を認められ二等司業に昇進した。一方、大麻比古神社神職などを務め、徳島県皇典講究分所試験委員兼理事、同県神職取締所理事となり、更に徳島県神道分局長を務め、大講義より少教正に進み、神職会が開設されると徳島県神職会板野郡支部長に就任した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報